2009年11月15日 (日)

アユが群れている場所がある

木曽川に近い用水路である。

ぎっしり固まっている。どうにかならないかと思案の上、ガリ針とオモリだけを買った。釣竿はない。何本も持っていたが、全部甥っ子にやってしまった。もう釣りをしないし、ジッと座って待つという釣りをやる性分でなくなったからだ。マウンテンバイクで走り回り、ウォーキングやジョギングで動き回るほうが性分に合っているからだ。

どういう訳か、今年アユのセリの資格を取った。というより、永久資格の権利に500円払って登録しただけだが。この漁協の近くに、養殖場から逃げ出したアユがここに住み込んでいる。これが黒い塊になって泳いでいる。

先日、この用水で、家庭で使っている網戸で上下をせき止めて、追い込んで行きタモ網ですくいとっていた。結構いい形Photo_3Photo_2 アユがいることは見ればわかるほど、群れている。網戸の追い込み漁という。面白いなァ、ワクワクしてくる。

先日ここを覗き込んでいた釣り師が、なんとかしたいなァ、とつぶやいている。カーバイトで吹き飛ばすか、なんて物騒なことを言っている。電気でイチコロにするか、投網を打つか、テーナで地引網はどうか、それともガリ針でかき回す。などと二人で話していた。これだけ群れているから、そっとガリ針を落としてパッと引き上げれば引っかかると思った。

きのう、友人の釣り好きなY君に黙って出掛けた。抜け駆けである。彼に言うと連れて行けというに違いないからだ。一人で004 楽しみたかった。家で仕掛けを作る。仕掛けを作っているときから、何度も自分の指を刺した。イテテイテテといいながら現地へ向かった。

ウフフ、今日はリックの中に、折りたたみの保冷用のバックを持ってきた。これにアユをしこたま入れて帰るのだ。

昔、釣りに行く前のあの興奮がよみがえった。ワクワクしながら第1投をそっと落とし込む。そっと引き上げる。なんと第一投から、3cmのシラハエがかかった。なんと幸先がいい。再度投げ入れようと水面を見ると、ヘッ?一匹もいなくなってしまった。いまの引き上げで、全部逃げてしまった。

逃げた魚が道路の下の暗橋に逃げ込んでしまった。チャンチャン!これで終了であった。仕掛けをするとき、川で釣りの準備をするときも、何度も針に掛かったのはワシの指先で、血がにじんでいる。唯一の収穫は、3cmのシラハエで、刺身にもならないから、川に返してやった。

その話をY君にしたら、鍋洗って待っていたのにと腹を抱えて笑われた。

その日の午後、雨が降りそうなので、傘を持って大江川にウォーキングに出掛けた。3kmほど行くと川の中で、編みカゴの「ウケ」を使って小魚を捕っている。コンクリートの隙間に網を仕掛け、1時間ほどで30匹ほど上げていた。

「それ食べるンかね」Photo_4

「イヤこの川の水ではよう食べん。でも先日ここで釣りをやっていた人は、3日間ほど真水で生かしておいて食べ るといっていた」

という。なんと、こんなドブ川のような、コンクリート製の用水路の川では、水は浄化されなし、道路から汚水も流れ込むから汚いのに。そうかこの「ウケ」という手があったか。

確か家にプラスチック製のウケがあるはずだ。倉庫を探したらあった!もう20年も前のものだ。右の写真の、白いところがフタで、その反対側からエサを入れる。フタのほうを上流に向けて沈める。エサが白いフタには溝切ってあるから、そこ002から水が流れ込む。お尻からエサが流れ出す。このエサの匂いに誘われて、お尻の円筒形のお穴(赤ペン)から魚が入り込む仕掛け。

003ヨ~シッ、今度はこれで勝負してやる。

近くの「遊」という釣具屋に寄って、「網のウケ」を探したら、なんと490円で売っていた。

この用水路にはモロコやシラハエがいる。これを甘辛く煮付けて、箱寿し(押し寿し)にしてやろう。(と思うのだ。ウフフッ。イカン、またY君の笑う声が聞こえてきたがやァ。黙れ!黙れ!ウルヘ~ッ。見ておれよ~っ)

左の写真は、その箱寿司を作る器。これでお祭りになると、押し寿司を作ったものだ。モロコ、新バエ、デンプなど、ご馳走だったなァ。今は手間をかけなくなって、押入れに眠っている。

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2009年11月14日 (土)

森繁久弥の「おじいさんの台所」を見て、身につまされた

この人が好きでねェ。重役シリーズ・社長シリーズ・駅前シリーズなんで大好きだったなァ。とぼけた雰囲気で温かみがあって、こんなジイさんになれたらいいなァ、と思わずにいられなかった。

追悼の放映が始まった。先日は「おじいさんの台所」をやっていた。妻に先立たれ、何もする気がなくなり、娘役の「いしだあゆみ」に、家中に張り紙をされ、何時に何をする、それが終わったら何をすると、叱られ叱られしぶしぶ動き回っているうちに、町内の人に招き入れられていく。

最近の自分を見ていて、うどんすら茹でなくなってしまった。フトこんなんでいいだろうかと思わずにいられなくなった。まずいまの自分を見つめてみると、

  • 今のところ、町内の氏子総代とか、Photo
  • マラソンクラブでは勝手に事務局と称して動き回っている。一宮の走友会を勝手に連合にしたり、マラソン大会の走路員や、陸上競技協会の受任理事やマラソン大会の実行委員会に所属している。
  • いまは頚椎と脊椎の手術で中断している、山の会。これも近場の標高500mぐらいの低い山なら自信が出てきた。
  • お祭りクラブも、はだか祭りや桃花祭など、2010年には復活できそうである。
  • このブログとか小冊子グループに所属して、パソコンに立ち向かっている。時々原稿の締め切りに追われるという、快感を味わっている。
  • 一日の大半は、マウンテンバイクとウォーキングで過ごしている。こうした家の中でジッとしていられない性分は、長年マラソンをやっていて、動き回ってきたからだ。
  • その点は趣味は多いほうだし、友人も多い。
  • 好奇心は人一倍強い。
  • 少なくとも、クヨクヨしない性分で、意外に脳天気である。
  • 元来の酒好き。タバコや博打はしない。

御年67歳、これが私の自己診断である。なんか履歴書になってしまった。果たして、これを読んだあなたは、私をどう診断するだろう。

趣味を持たない仕事人間が、ある日突然に失職すると、おそらくどう生きていったらいいか、それすら方向が取れないのではなかろうか。しかも掃除、洗濯、炊事など家事をまったくしてこなかったツケが一気に襲ってくる。

旦那が死ぬと女性は元気になる。これが反対だと、ガクッと来てどうのも始末が悪い状態になるらしい。

そうならないように、外食に頼らず、いまから家事など、特に料理のトレーニングをしなくてはいかないようだ。味音痴な私には、人に食べさせなきゃどんな味でもいいがねッ。自分で納得していればいいから。

つくづく、明日の自分を見るような映画であった。

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2009年11月13日 (金)

「馬酔木」をどう読む?

こういう名の喫茶店がある。これを「あしび」といいます。馬酔木を調べると、「あせび」といい、山野に自生する、ツツジ科の常緑低木。早春、小さな白いつぼ形の花を房状につけ、下垂れする。葉は有毒。ただし、馬などが葉を食うと体がしびれるので、「馬酔木」と書く。

猫科の動物が酔うのが、「マタタビ」というのがある。我が庭に近所猫が寄って来て紛争を始める。花壇を手入れすると、途端に糞をしていく。腹が立つ。もし、ママタビをまいておいても、屋台に寄るオジサンと同じで、猫が寄ってきて宴会をされても困る。

ワシなら酒でいいが。昔は女性にも随分酔ったが、向こうが近寄らなかっただけだが。(余分な話だが)

以前、動物協会から動物虐待と言われても仕方がないことをやった。近所の2軒がそれぞれ2匹ずつ放し飼いをしていた。その猫が我が家の庭で縄張り争いをして、あまりにもうるさいので、波トタンに釣り針をズラ~ッと仕掛けてやった。夜間、釣り針に引っかかった猫が、無理に動くと、釣り針が切れる。そうすると、波トタンが、「ブッツ~ン」と音を立てる。寝ながら、思わず「ウハッ、引っかかった!」と、大物を釣り上げたように楽しんだ。ところが翌日、猫の飼い主が、私を見つけて、「最近ねェ、猫に釣り針が引っかかっているのよ」とぼやく。

だから言い返してやった。「イタチが入り込むので、とっ捕まえてやろうと仕掛けしたのよ。アハッ!アンタんどこの猫が引っかかったのか。それは失礼。でもこうやっているから、猫を放さないようにねッ」

それでも我が家は、近所の猫の遊び場よ。猫の飼い主よ、いい加減にしろよ。今度は狐狩りの「トラバサミ」を仕掛けてやるぞ。でもなァ、狐が出るとはいいがたいが。

サルに最近往生しているようだ。いまも名古屋では、逃走中のサルと毎日追いかけっこ。放っておけばいいのに、自然をなぶりすぎた人間がイカンのだ。

でも「馬酔木」なんて名前をつけて、人の記憶に残るだろうか。フランス語だとか、イタリヤ語で気取った名前をつけても記憶に残らんだろう。最近、人の名前を思い出さんようになった。

今日、車から、親しそうにワシの名前を呼んで声をかけてきた。顔を見たことがあるが名前が浮かばん。誰だとはいいがたく、「おお久しぶりだなァ」と言いながら話は進む。向こうは車、ワシはマウンテンバイク。早く信号が変わればいいがと思ってたら、車が動いた。シメタと思ったら、なんと今度はJRの踏み切りに掛かってまた話し込むことになってしまった。

こうなったら、一方的に私の話をドンドンして、踏み切りの開くのを待った。

だから、難しい名前をつけられると、まず覚えないから。でなく、忘れるから。

いかん、いま写真集を持ち出して、今日の友人を探しているが、顔を忘れてきた。ア~ッ神よ、我を忘れたもうな。

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2009年11月12日 (木)

寺庭(じてい)婦人会一行様?「寺庭」って、なんだ?

今日妙興寺へ行くと、時ならぬご婦人の団体さんがいた。これはいいぞッ、少し妙興寺のパンフレットにない歴史を話してあげようと、仏殿を中を見ると、僧侶の説明を受けていた。イカン、周りに僧侶が3人もいる。しかも、説明している僧侶の手に『妙興寺散歩』という本を見ながらである。いかんなァ、修行が足らん。

この20人以上では、おそらくバスで来たんだろう。僧侶とガイドらしい人が仏殿に入ることなく外で話し込んでいる。管理人は久しぶりの大勢の拝観者の応対に忙しそうである。入館者数がこの管理人の命であるからだ。管理人が説明を求められると、博物館で聞いて来いと、逃げの一手。ワシの面白おかしく妙興寺ことを書いた、「妙興寺のパンフレットにない歴史」をプリントしてあげたのに。一向に読もうとしない。

私がガイドを捕まえて、どういう団体か聞くと、豊橋から来た「お庫裏さん」たちだという。隣の僧侶が、毎年一カ所ずつ寺を回っているという。お庫裏が寺周りでは面白くなかろうに。

この仏殿の前にある、ここの3代前の第十八世、河野宗寛老師の歌碑がある。終戦後満州孤児を300人連れ帰った壮絶な歌日記である。この一句が毛筆で読めない人が多い。試しにここの修行僧に尋ねたら、読めなかった。そこで私が修行僧に説明してやった。説明したくてウズウズしていたのに、団体は方丈(客殿)へ向かっていった。たぶん稲垣老師の話を聞き、昼食を頂くのだろう。

いま名古屋博物館では「妙心寺展」が開催されている。そこにはここの妙興寺からも仏像などが出展されている。一宮博物館でも日本画の「牧進展」が開催されていて、ここにも、妙興寺から牧進の書いたフスマが出展されているから、こういう順序での一日旅行だと予想される。

どういう団体名なのか気になったので(イカンなァ、好奇心には勝てないわァ)、博物館の駐車場へ行くと、豊橋ナンバーのバスがいた。バスの団体名を見ると、「愛東教区寺庭婦人会」とある。なんじゃ?この「寺庭」という言葉は。運転手に、お庫裏さんばかりらしいね、というと、いや檀家さんだという。あれ?さっきの僧侶と話が違う。寺庭ってなに、と聞くと知らないといいう。

この団体名をメモして帰る。辞書を調べるがどこにも出てこない。そこでインターネットで検索すると、すぐに出てきた。

「寺庭・じてい」=住職、副住職の妻にあたる人物を指していう、とある。

ヘ~ッ、寺庭という言葉を知らなかった。やっぱりバスの運転手は知らなかったのか。同じ宗派のお庫裏さんたちで、横の連絡網を作っているのだ。寺同士、葬儀や行事で応援しあうことが多いから、こういう付き合いも必要なんだろう。昼飯はここでするかと、余分なことを聞いたら、いや外食だという。毎日精進料理を食べているから、たまには肉や魚をふんだんに食べてみたいだろう。

後日、管理人と妻帯について話をした。禅寺では昔は妻帯はなかったはずだ。ドンドン格が上がっていくと、妻帯していたが離婚をして、独身を装うことがある。これは相当の格上。妙心寺の館主ぐらいの話だ。禅宗では明治に入ってから、公に妻帯が許されるようになったという。公ということは、公にしなかっただけということも当然あっただろう。

キリスト教の場合は、いまだ独身らしいが。

ワシにとっては、不自然な気がするが。オスとメスを作ったのが神仏だったはずだが。宗教心のないワシの意見だからね。

わずか20分の出来事であった。いい勉強になった。ふ~ん、寺庭か。知らないことが世の中には仰山あるわァ。

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2009年11月11日 (水)

カド丸のオババ 第二弾

昼飯何しようかなァ、どこに行こうかなァ。

こんなときフト思い出すのが、「カド丸」である。ここのオババは大変よく働く。休みがない。のれんが下りているのPhotoに、店をやっている。人が出入りしているからすぐに分かる。

「あれ?休みでないのォ」

「うん、近所の店に出前をしなきゃいかんので、休みがない」

と言いながら、働くことを楽しんでいる。昭和41年、私はトヨタ系の車のセールスになった。このカド丸の近くに営業所があり、いつも出前を取っていた。いまから43年ほど前に話だ。オババがいま75歳ぐらいだろうか。ならば当時は32歳ぐらいで、美しい盛りであったのか。当時を思い出そうとするが、いつもオヤジの顔しか思い出さん。色白で小柄でさぞ美しかったであろう。

先日寄ったとき、あまりたくさん食べたいという腹ではないが、食べないと夜まで持たないという、中途半端な腹具合。ところがビールだけは欲しいという都合のいい腹だ。

勝手に缶ビールを冷蔵庫から取り出して、コップに注ぐ。すると、すかさずツマミが出てくる。先日はダイコンの煮付けが、皿にテンコ盛り出てきた。ゲッ!なんじゃ、この盛りは。ワシの腹はもうこれを見ただけでもう満腹状態となった。

さて何か注文しなくては。ビールと大根の煮つけで逃げ出すわけにはいかない。そこで親子丼を頼んだ。向かいの席には、近くのマンション工事の現場監督たちらしい3人の、注文したものが配膳された。串カツ定食とカツ丼である。串カツの一人が、これって大盛りかい?やけに少ないがやァ、と言うと、オババが「お替りすればいい」と言い返していた。

私はそのカツ丼の盛りを見て、またまた満腹になってしまった。そこで私はオババに、「カーチャン、ワシの盛り少なくしてちょゥ」と頼んだら、向かいの現場監督らは大笑いしていた。

「同じ年恰好なのに、お前はよう食べるのゥ」

と私の顔を見て笑う。ワシは、

「いや、あんたたちの盛りを見て、胸がつかえてしまった」

この店には、誰彼なしに話しかけられる雰囲気がある。まるで屋台で串カツを食べている雰囲気がある。オババは、「こんなもん大盛りじゃないがやァ」と言われても、一向に怖じることなく、ガンとして言い返している意気のよさがある。

監督たちが出て行くと、私の親子丼と味噌汁が出てきた。驚いたことに、またダイコンの煮つけと、ラッキョウの小粒な酢漬けがまたまた20粒ぐらいがテンコ盛り出てきた。オババにラッキョウを半分にしてちょォ。多すぎるし残したくないからと、減らしてもらった。

勘定をすると、缶入りのお茶を持っていけという。これで700円では申しわかない。

マウンテンバイクに乗ると、前屈みになり、腹を圧迫するので気持ちが悪くなってきた。仕方がないので、降りて歩いて帰ってきた。儲けを余り気にしていない意気のよさがこのオババにある。

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2009年11月10日 (火)

クモの巣の高張り

今年は台風が少なかった。唯一18号台風が10月8日に愛知県に上陸した。この少し前に、アシナガグモが巣を張っPhotoた。それも相当に高い位置で、平屋の屋根から屋根に向かって電線が走っている。それを基盤にしてモミジへ巣を張った。

私が箒を持っても届かないほどの高さである。こんなの張ったら、風が吹けばイチコロに吹き飛んでしまう。

Photo_3  空に向かって写真を撮ると、クモの巣が見えない。ある朝、露に濡れた巣を写真(左)に撮った。いま昆虫図鑑を見ているが、クモの種類で巣の形が違うことを始めて知った。 クモは脱皮(右上)をして、新品の衣類になり、近くに子供のクモが3匹見える(右下)。一家で住み込んでいる。そのうち子グモは、植木の低い位置に巣を張るのだろうか。気になるが、探しようがない。211018_2

こんなとき、今年始めての台風が愛知県に上陸した。幸い尾張地方を外れたが相当に風が強かった。さてクモはどうするか見ていると、一旦木の影に非難をしたのか、巣にはいなかった。台風が過ぎると、何事もなかったように、ど真ん中で補修をしている。

もしクモのことわざの中に、「クモの巣の高張りの年は、台風は来ない」というのがあるだろうか。気になるので検索するが、でてこなかった。

郊外に出ると、街路樹に掛かったクモをよく見かける。面白いのは、このアシナガグモの背中をトンと突いてやると、自分で巣を猛烈に揺する仕草をする。

これが面白く、つい邪魔をする。アハッごめんよ。

クモのことわざに、こんなのを見つけた。「朝の蜘蛛は福が来る、夜の蜘蛛は盗人が来る」というのである。そんなこといったら、我が家は年中張り続けている。クモは虫をとってくれるから、益虫ということもあるからな。

それにしても、実にうまく張るものだ。そのクモも、もう越冬に入るのか、巣は荒れ放題となり、クモの姿が見えなくなった。

子グモは巣から離れるとき、どのクモでも糸を出す。糸を出して風に流すと、ふわりと浮かび、飛んで行き、自分に合った生活環境に来るとそこにクモの巣を張る。

糸に獲物が掛かると、巣が揺れる。クモは糸を伝わる横揺れを、歩脚と呼ばれる四対の肢の先端部に生えている剛毛で感じる。獲物がかかると、クモは現場に急行して、糸でがんじがらめにして、獲物に牙を立てて毒液を注入して麻痺させる。後は消化液を注ぎ、溶かしてどろどろになった液体を吸い込むのだ。

ところが外敵がいる。シジュウガラなどは、クモは高たんぱくで欠かすことができない獲物なのだ。我が家にもシジュウガラがよく来る。クモもおちおちしていられない。敵の襲来を羽音で察知する。体に生えた細い感覚毛で、空気の振動を感知するほか、糸の縦揺れでも音を感じることができる。なかなか優れものである。

クモを洗剤で洗ってやると、自分のクモの巣にからまってしまう。

調べると、なかなか面白い話が出てくるなァ。参考文献=『ガラガラヘビの体温計』渡辺正隆著より

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2009年11月 9日 (月)

クセになる黒い耳かき綿棒

どうも耳かき綿棒には、いささか抵抗がある。

以前綿棒を多用していたが、どうも綿棒で耳糞をドンドン奥へ押し込んでしまった。それでどうも最近耳の聞こえが悪いと思っていた。そこで竹の耳かきでそいつを探し当てて掘り出したら、なんと大きな耳糞が出てきた。

それ以来、綿棒を使わないようにしていた。ところが災難が訪れた。竹製の耳かきを多用し過ぎて、耳の中を傷をつけてしまった。これが具合悪いことに、耳糞と傷口から出る体液と合体をして、鼓膜に張り付いてしまった。突然難聴になってしまった。もともと聞こえはいいほうではない。

私が育った環境はミシン加工をしているまるで工場の中で育ったようなもの。だからやや難聴とまでいかないまでも、聞こえが良くない。テレビのボリュームは15~20レベルで聞いている。最近デジタルテレビに替えたら、音がやけにこもった感じがする(ソフトと言うんだろうか)。そこであれこれ調整を探してやっと何とかなった。

「天地人」の直江兼続の声がなかなか聞き辛い。大事な場面なのにいちいちボリュームを上げなくてはならない。そこで、やっとメニューの中から見つけた音声調整で、高音部位を高くして、低音部位を低くしてやった。なんとうまくいった(少し硬い感じの音声である)。ワシもなかなかやるでないか。

以前脊椎の手術入院中に、聴力を検査してもらった。人の声の範囲は、検査した資料からすると、周波数2000~6000ヘルツ、正常位の聴力レベル30~60デシベルだとある。私の場合は、ちょうどそこらあたりが一番聞き辛い部位と分かった。補聴器に必要はあるかというと、いやその必要はないという。しかも、

「普通の老人の耳です」

とこきゃがッた(いや失礼、言やがった)。

「あのねェ、ものには言い方がある。老人はないだろう。年相応ですとか何とか言ってみたら」

と言ってやった。それともう一つ聞きたかった、耳鳴りである。そうすると、「治りません」と即座に答えた。そこで私は言い返してやった。

「いやッ、方法はある。イビキは起きれば治るし、耳鳴りは寝れば治る」

「うひョ!いい言葉ですね。これこれから使わせてもらいます」

と言うではないか。今ごろ岐大の耳鼻科の患者に、そう説明しているだろう。009

さて鼓膜に張り付いた耳糞を、近所の耳鼻科で洗浄に5回通ったら、元に戻った。アレから竹製の耳かきが怖くなり、綿棒に戻っ た。最近こんな耳かき綿棒を見つけた。綿棒の部分が真っ黒なものである。しかも綿棒がタコ紐で縛ったボンレスハムのごとき凸凹していて、これに耳糞がよく付いてくる。しかも地が黒いから、収穫量が実によく分かる。その名も、

=「やみつき綿棒」汚れハッキリ見えてお耳すっきり!!スパイラルヘッド70本入=

なんとタイトルまでスッキリしている。これでコリコリやっている。

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2009年11月 8日 (日)

稲沢シティーマラソンの準備

7日は、9時から稲沢陸上競技場で8日に行われるマラソン大会の準備である。

毎回のことだが、ゴールの付近設置が主な仕事だが、何をどこに置いてという記録を作っていないからいつも迷う。写001真の記録をとっておいけばいいのに。いちのみやタワーパークマラソンでもそういうことがある。

こういう仕事が私の手術跡の腰には一番悪い。中腰がダメなんだ。カラーコーンを並べる。トラ柵を並べる。ロープを張る。どれもこれも全部中腰だ。

時々へたり込んで腰を下ろす。どうも怠けているようで気が引けるが仕方がない。

まっすぐ立って歩くなら、50km60kmは平気で歩ける。マウンテンバイクなら100km以上は走れる自信がある。だがホウキで掃き掃除、厨房での皿洗いなど中腰が5分でダメなんだ。

普通は痛くもなんともないのに。悔しいが仕方がない。座り込んでいると、怠けているように見られるのが辛い。

今日の大会本番はいい天気になる。みんな楽しんでくれるだろう。

痛み止めを持参で、ゴール審判をすることになりそうだ。

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2009年11月 7日 (土)

お千代保稲荷へ渡し舟

久しぶりにお千代保稲荷に行こうと誘われた。風もなくいい天気に恵まれた。

二人でツーリングする場合、横並びで走行できない。そこで、コースを尾西線のわき道を走ることにした。ここなら交差する道も少なく、車の行き来もない。田んぼの真ん中をのんびりと走る。萩原町の小さな商店街を抜けると、3kmほどで西中野に出る。ここには、木曽川にも数少ない渡し舟がある。堤防に上がると、船頭がいる小屋がある。二人がのんびりとテレビを見ている。

「お願いします」と声をかける。

二人の船頭が河川敷の船着場に来た。自転車を舟に載せる。舟は第五中野丸である。ここは県道扱いで、県の嘱託船5頭である。船舶免許の資格がある人を募集しているが、なかなかなり手がいないという。悪天候以外は運行しなくてはならないし、8時半から11時半、0時半から2時半、3時半から4時半という細かい時間に縛られている。しかも給金が安いからとぼやく。

川幅は約700m、川面は凪で鏡のようである。水鳥がここは禁猟区だと知ってか、多く羽を休めている。舟に驚いてか、時々バシャッと魚が跳ねる。対岸までわずか5分ばかり。ここには国旗を揚げるポールが立っている。ここの旗は、白地に黒の丸の中に県の字が書き込んである。これを帰りに上げると対岸の船頭小屋から見ていて迎えに来るという。県道扱いだから、もちろん無料だ。申し訳ない気がする。それになんとも風情がある。

016堤防道路に上がり田んぼ道を走る。お千代保稲荷まで7kmほど走る。田んぼはもう稲が刈り上げられている。ハサ掛けされた稲束が並んでいる。一宮あたりは全国でも一番遅い稲刈りらしい。

久しぶりにこの参道に来た。相変わらずの賑わいだ。一宮の本町とは雲泥の差だ。適当に道が狭く、かえって大勢の人がいるという賑わいを演出しているようだ。2

漬物屋、串カツ屋、衣料、食堂などが所狭しと店を並べる。漬物を摘んでいるうちに、つい買いたくなる。相棒が奥さんからスーパーにないものを買うようにとリックを背負わされてきた。最近結婚した相棒が、ニンニクを大量の買い込んだ。アハッ、若い嫁をもらったので、ニンニクでは追いつかんぞと笑う。しかも中国産のニンニク300円では、何が効いてくるか分からんぞ。同じ量で青森産だと1600円もする。

串カツ屋に入り、ビールと串カツおでんをとる。

また田舎道を走り、馬飼大橋を渡り祖父江に入り、善光寺を見る。ここの若い住職はずいぶんやり手らしく、屋根を改修して一段と立派にした。改修のとき、屋根裏に大量のハトの糞が堆積していた。それを袋につめて住職が売ろうとした。ところが誰も買わない。そこで無料にしたらあっという間になくなったという。住職の商売上手は当てが外れた。

祖父江は11月末には銀杏祭りがある。イチョウの紅葉にはまだ早い。祐専寺に寄る。ここにはイチョウの原木をがある。この寺からイチョウが増え続け、今の名物になった。イチョウ畑にくると相当に臭い。でも11月末にはこの銀杏並木が奇麗になる。また来てみよう。

一日いい天気の恵まれて、50kmのツーリングができた。

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2009年11月 6日 (金)

釣り師がいなくなったらサギが群れ

アユのシーズンが終わり、釣り師がいなくなった。そうしたらなんとサギとウが群れている。Photo

先日河川敷の不整地な石ころだらけの場所をMTB(マウンテンバイク)で走っていた。木曽川は川幅が広く、のびのびとした気分が味わえる。

いままでMTBにはママチャリのタイヤを履かせていた。私の自転車の「慎ちゃん師匠」からリムごと変えてもらい、乗り回していた。

私は、頚椎と脊椎の手術を2年前にやり、特に脊椎は、5本ある腰骨の内、神経を触っている4本の骨を削り、変形したじん帯を取ってしまった。じん帯というのは、腰を曲げて戻すときのゴムの役目をしている。だからその変わりをする筋肉を作る必要がある。イスに座って足を上げると、腹の中の腸腰筋が働く、この筋肉が、腰を戻すじん帯の代わりをすると判断した。私は手術前からこれに気づき、1万kmMTBに乗ってから手術に挑んだ。

だから異常に早い快復で、執刀医から、「最優秀患者」という名誉ある称号を頂いた。

ママチャリでサイクリングの楽しさを知った。最近、腰の調子も、まったく異常を感じない順調な仕上がりだ。せっかくMTBに乗っているのだから、オフロード用のスノータイヤのようなゴツゴツしたタイヤに、慎ちゃん師匠に戻してもらい、河川敷を走りたくなった。

だが転倒だけはしないように気をつけている。転倒して腰を強打しようものなら、元の木阿弥であるからだ。オフロード用のタイヤに交換して走ると、確かに重いが、いままで鍛えた足腰の筋肉がそれに勝っている。これならばいままでもタイヤと遜色のない走りができる。

思い切って一宮ツインアーチあたりから河川敷に降りる。平日で誰もいない。少し下ると、夏場は釣り堀りになっ8 ている場所に五、六人釣りをしている。今はシラハエを釣っている。川の9中はもうずいぶん寒くなり、アユの釣り師はいない。いつもなら釣り師がいる場所には、サギとウが落ちアユを狙って縄張りを争うように、群がっている。

ガタゴトと石に乗り上げながら、堤防をMTBを担いで登り、奥町から最近できた河川敷のサイクリングロードを約3km走る。この道が将来河口まで続くというから、うれしくなる。また一つ走るコースが出来上がった。

ところがここにこんな看板を見つけた。なんと恐ろしや!

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