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2005年5月11日 (水)

86歳のランナー大往生

86歳の小出万造さんが大往生した。この人が走りかけたのがいまから45年前の昭和35年である。胃腸が弱かったので万造さんは走りかけた。

このころジョギングということばはなかった。1970年代(昭和45年)アメリカでジョギングブームが始まり、それが日本に波及したという。だから万造さんが走っているころは「ロードマラソン」ということばが使われていた。

毎日走っている万造さんを知った、地元中日新聞が記事にしている。「夏が午前4時ごろ、冬は4時半ごろ起きて、自宅から農村部へ回る1万メートルほどのロードマラソンを3年ほど続けた。しばらくすると九品寺グランドを知り・・・・云々」

私も41歳の時医者の勧めで走りかけて、この九品寺でくしくも万造さんを知った。以来オヤジさんのような大らかさで、私たち鈍足なランナーを見守り続けてくれました。

今日その思い出を綴った。以降がその文面である。

小出万造さん、長い間御指導ご鞭撻ありがとうございました。御冥福をお祈りいたします。

万造さんを知り合ってから、ずいぶんいろんなチャレンジをさせてしまいました。ごめんなさい。でもみ~んなにいい思い出を下さって、ありがとう。いまアルバムを開き、思い出に浸っております。

金華山(328m)を南の尾根から登り、一旦下るようにしてからまた山頂に登り直した。南の尾根では鳥がイッパイいましたね。下山では始めてアイゼンをつけて大騒ぎした。

伊吹山(1377m)で御来光を見ようと、山頂までやっとたどり着いたら、全く霧の中と強風で「万ちゃん雲に乗る」「万ちゃん風にふかれてふーらふら」なんて歌っていましたね。一緒に登ったマラソン仲間が、なんという元気なジーさんだと、びっくりしたものでした。

「今日の伊吹山でワシが最高齢者だなァ」

と、御年80歳のときでした。マラソン仲間で囲うようにして登ったね。

淡墨ウオーキング25kmにも何度も参加された。「軍隊時代は水は飲まずに歩いたものじゃ」といって、脱水症状寸前までいって、みんなに笑われてさァ。負けず嫌いが、温厚な性格の中からちらちらしていて。体力はウルトラマラソンをやっている私たちと、万造さんの歳を比較すると、いい勝負と笑った。

そうそう一宮の桃花祭にも化粧をして参加された。皺に入った化粧が落ちなくってさ、みんなで引っ張って落とせなんて大騒ぎ。

私たちは、年齢に関係なくチャレンジしてくる万造さんが大好きでした。私たちの、とてつもなく頑丈なオヤジさんでした。ランニングの大先輩の万造さんの傘寿を、無名会ランニングクラブで祝おうと、万造さんをエサに飲み会をしたこともあった。

いろいろ思い出をありがとう。

この文書を香典袋に入れて受付に出したら、小額の香典袋が5万円ぐらいになって恥ずかしかった。ゴメンね、最後まで迷惑をかけて。

別れ花を棺の中に入れるときに、こんな思いがどっと噴出し、涙が止まらなくなった。

ありがとう万造さん、さよなら万造さん。

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コメント

成瀬さん
本日始めて拝見させて頂きました。
いいページです。
今日の記事感動しました。
どんな元気なランナーでもいつかゴールするときが来るんだな。その時に悔いの無いようなランニングライフを送ってゴールをしたいなと思いました。
今日走れることに感謝し、また明日は知れることを願って、毎日を大切にしていきたいと思える今日の記事でした。

投稿: 直樹 | 2005年5月11日 (水) 20時48分

成るチャン、お別れに涙を流させてもらえる人生を送りたいね。いい生活より、いい人生を

投稿: スキンヘッド | 2005年5月12日 (木) 08時35分

これは泣かせるね・・・。万造さんのご冥福を
お祈りします。

投稿: Mikko | 2005年5月12日 (木) 20時54分

小出万造の孫です。ふと祖父のことを思い出し、検索したらこの記事を見つけました。祖父を取り上げて頂いたことをとても嬉しく思います。ブログ主様もご逝去されたとのことで、お礼を言うことも叶わないのが無念です。ご冥福をお祈りいたします。

投稿: 孫 | 2018年2月18日 (日) 17時52分

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