酒と小説
酒と小説
先日本棚を整理していた。
著者ごとに、出版社別、発刊順に分けたりしていたら、なんと、まだ読んでいない本がたくさん出てきた。それとなんということか、読んでいないからまた買ってくるという、重複購入本がたくさん出てきた。こういう本は捨てるのももったいないから、いずれ古本屋に処分することにした。未読の本は、以前はまっていたスパイ物、アクション物、冒険物の小説がほとんどであった。ジェフリーアーチャー、フリーマントル、ラドラム、ケンフォンレット、パーカー、クイネルなどである。
私は活字中毒者で、会社勤めのころは、車の中にはいつも何冊かの本が助手席に載っていた。営業で走り回っていたころ、信号待ち、駐車中、昼食時など一時も離さず読んでいた。
それが定年後様子が変わってきた。いつでも時間がある。車に乗るといことも少ない。車の走行距離なんか、1年間の私のランニング距離のほうが長い。それと、もともと酒が好きなほうで、読書するときにはいつも手の届くところにオンザロックがある。だから読書スタイルがどんどん堕落してきた。
こんな状態でスパイ小説なんか読んでいると、登場人物が分からんようになる。特にスパイになると、次々に名前を変えていく。そのうちに誰が誰だか分からないうちに、どんどんページが進んでいく。え~い、こうなったら誰でも構わん、と読み切ってしまうから、物語が全く意味不明のままになってしまう。だからもう一度読み直すこともない。
活字中毒者の私は、最近この打開策として、日本のエッセイを好んで読んでいる。これならどこで読み終わっても、また読み直せるからなんです。
今年に入ってから、4月まで続いた酒の絡むイベントや祭りがやっと終わった。そこで少し心を入れ替えて酒から距離をおこうと思った。離れすぎていると心配だが。できるなら手の届く範囲内で距離をとりたい・・・と思う。(酒なしでは成瀬が危ない・・・という声が聞こえる)
先日発掘された外国本に恐る恐る手を出した。ジェフリー・アーチャー著「十一番目の戒律」500ページ。気後れがする。そしてエイヤッと気合を入れて読みかけたら、隣にオンザロックが無いぶん頭が冴えている。だから登場人物が鮮明に浮かび上がってきて、どんどんとページを稼いでいく。オモシロイ。
寝つきが悪いとき、夜中に目が覚めたときなんかすぐに読み始める。物語が佳境に入っていくと、眠くても読んでいる。寝不足になったら昼間その分寝ればいいと、勝手に決め込んで読んでいるから、朝からボ~ッとした空気頭となり、よろよろと生きている。いきも絶え絶えに。
こうなると寝る前に、よく寝られるようなオンザロックが欲しくなる。ドゥ~ショウ。
| 固定リンク
« 鳥 | トップページ | 86歳のランナー大往生 »
この記事へのコメントは終了しました。


コメント