昭和20年ごろ 運搬車で紙芝居がやってきた
昔駄菓子屋をやっていた店の前を通ったら、オヤジさんとお上さんが今はもうやっていないが店先で話し込んでいた。
店のガラスのショーケースもそのままで、駄菓子が並んでいた棚には当時を思い出させる菓子の入っていた空のビンなどが並んでいた。
ショーケースの上に乗っているオカモチが眼に留まった。思い出した。これにかき氷を入れて出前してくれていたのだった。あのころは自転車のごっつい運搬車というのがあった。このスタンドを立てると2度と倒れないしろもので、荷台にはのぼり旗を立て、今でいうアイスボックスにアイスキャンデーを入れて、「アイスキャ~ンデ~」と涼しげな声でリンを鳴らして売り歩いていた。
紙芝居も、近所の神社の境内にやってきた。ふれ太鼓を鳴らして町内を回ったら、あめがもらえたから、みんな競って太鼓を打ち鳴らした。練りあめを買うと前で見られた。あめはどんどん練ると白くなる。これを競った。形抜きあめを上手に抜くともうひとつもらえた。せんべいも売っていたように思ったが。今思うに紙芝居屋は駄菓子屋だった。「黄金バット」や「少年タイガー」を楽しみにしていた。
この運搬車にサイドカーが付いているものもあった。格好よかったねェ。紙芝居も豆腐屋もサイドカー付きでやってきた。米屋はリヤカーをくっ付けて配達していった。
そうだフナの子が出るころに、「新バエ~新バエ~」といって売りに来ていた。
あのころの鼻垂れ小僧は、今孫の鼻をかんでいる。
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