昭和20年代のおれ達 農機具の思い出
お盆に入ったのか、道路はがらすきである。ジョギング中あまりの暑さにコンビに飛び込んでアルコールを摂取して家に逃げ帰る。
道中の田んぼは稲の苗が青々として暑苦しいし、田んぼのむせ返る泥臭さが、ふと子供のころを思い出させた。
今は米を脱穀するにも機械化されているが、その昔はみんな手作業だった。気になったのでさっそく博物館へ出かけた。そこでむかしの農機具をスケッチしていたら、どんどん子供のころに入り込んでいった。
母親の在所は農家で、何かあると遊びに行っていた。日曜に祭日、春夏冬の休みはいつも田舎にいた。夜になると土間でおじいさんがむしろや縄を作っている。そこに座り込んで昔話をせがんでよく聞いた。
稲刈りが済むと、ハサに架ける。ハサ架けされた稲穂がいい風除けになり、これがいい陽だまりを作った。目の前には温床(おんどこ、おんしょう)が掘り込んであり、そこにはもう野菜の苗が芽を伸ばしている。その温床には油紙の覆いがしてあった。
稲穂が乾くとこれを千歯こきや稲こきですきとり、むしろの上に籾ひろげで万遍となく拡げ干す。乾いてくると穂打ちでとんとんとたたく。これが楽しくって手を出すが、邪魔をしているのかよくしかられた。籾が散らばってしまってしかられた。「もったいないから手を出すな」と。
風のある日は、箕に籾を入れて大きく突き上げるようにすると、籾殻が風の飛んで、米が箕に落ちる。こうして毎日毎日米になるまで籾入れびくで運んだ。
この籾入れびくは、米だけでなく、小さな妹やいとこ等も入れた揺り篭にもなった。
そうか田んぼの泥臭さは、この温床の臭いだったか。五感の中にこんな思い出があったんだ。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。


コメント
いつも拝見させてもらっています。せっかくの絵が拡大すると大きすぎて、ごく一部しか見えません。スクロールのバーもなく、なんともならんでかんわ。マックを使っとるけど、ワシだけきゃーなあ。そんならえーけど。
まーちょっと小さくできんきゃあ。あそこまで大きくする必要もにゃーと思うけど。みんなはどーしとらっせるか知らんけど。とにかん全然、全体が見えんでかんわ。
干場でモミをかえすときに使ったヤツは何と言ってゃあなあ。コマザラだったきゃあなあ。いろいろな道具を思い出しました。
投稿: 舟橋たけし | 2005年8月14日 (日) 19時14分