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2006年6月22日 (木)

今までのブロック注射の効果はいかに

先回「う~ん、どうも万策つきましたね」という顔を見逃さなかった。「次回はMRIを撮って現状を見てみましょう」という。とりあえずレントゲンなしのブロック注射をして、帰ったが、神経管狭窄症の方は一向に改善されていない。

朝起きてわずか2km歩くのがイタタタの連続である。ケツの特に「お猿のケツは真っ赤っか」の辺りが痛い。尾てい骨を中心に半径10cmが痛い。

昨日、MRIの部屋に入った。体から金属類を取り除く。入れ歯はそのまま。神経管狭窄を撮るのかを確認してベットに仰向きに寝る。ベットが次第に機械の中に入りこんでいく。タコせんべいを作るような大きなフライパン状の機械が迫ってきた。目の前10cmにである。この機械を睨み付けてもいても仕方がないので、目をつぶり覚悟を決めた。「俺はタコせんべいになる」と。

最初はノックするようなコンコンと機械音がした。しばらくするとゴクンゴクンと機械が総動員し始めた。そのうちにまるで戦争映画の「コンバット」の中にいるような、銃声が散発的に左右から打ち出される。どこかでサンダース軍曹が指令を出している。バンバン、バキューン、バキューンと。それが終わるとダダダダダッと機銃掃射が始まった。

静かになったと思ったらパタパタパタとヘリコプターの回転翼の音に混ざってダダダダダッという機銃掃射が始まった。どうもヘンリー少佐が助けに来たらしい。騒々しい機械だ。寝ることもできない。この攻撃を20分ほど受けてから開放された。私の体は機銃掃射でズタズタである。

写真から診断するに、椎間板ヘルニヤの方は前回とあまり変わりなく、今回特に見てもらった神経管狭窄症はやはりずいぶんと狭いことが分かった。手術するまでのことはないが、一応血流をよくする注射プリンクを2週間で10回することと、オパルモン錠5μgという薬をもらった。

昨日、機銃掃射で打ちのめされた今朝、なんとなく腰の痛みが少ない。こんなことは今までもあった。いいときも激痛のときもある。マウンテンバイクに乗り期待を持ちながら郊外に出た。少し歩いてみるかとバイクを降りた。う~ん、ぎこちないが歩けるではないか。痛みはない。最近になって初めて自転車を押しながら4kmを歩いた。

早々にこの注射を、連続10回受ける手はずを整えることにする。

期待したい。

 

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2006年6月21日 (水)

交通違反者逃亡

20日午前10時ごろ、一宮市の木曽川の体育館の近くまで自転車で来た。トイレを借りに体育館に入ろうと思った。

ここは速度違反の取締りをよくするところだ。今日もやっていて、ちょうど違反者が警察官と窓越しに話しこんでいた。自転車を止めに駐車場に入り、違反者を金網越しの見る形になった。

どうも違反者がゴネて降りない。すると他の警察官が3人寄っていた。突然違反者はタイヤを鳴らして発進した。危うく難を逃れた警察官が、ワゴン車兼違反キップ発行所に3人が乗り込んでサイレンを鳴らして追いかけていった。

私はテレビでも見ている感じで眺めていた。見晴らしのいい田んぼの中を違反車と警察の車が走っていく。トイレを借りて取り締まり警察官に、「キップ発行所がなくなったので、仕事ができないねェ」と笑った時に、携帯電話が入り、今逮捕したという。なんとその間10分であった。お見事!

たぶん逃げた方角は、JR線と名鉄の踏切があり、頻繁に止められる。そこらあたりで捕まったか。

だけど馬鹿な運転手がいるな。交通キップだけならいいが、逮捕されりゃ、公務執行妨害になる? のに。

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2006年6月20日 (火)

野球とガムとツバ

大リーグのテレビを見ていて気になるのは、選手が所構わずツバをはく。バッターボックスであろうがダッグアウトの中だろうが平気なんである。口に入れた水をダラダラと吐き出している。

これって日本ではあまり見かけないよね。私は勝っている時だけの中日ファンであまりテレビ観戦もしないから、日本の事情をあまり知らないの。

選手にとって神聖な場所だから、こいうことはみっともないと思ってしまう。こう思うのは私だけかね。

20年ほど前に町内でソフトボールチームを作っていたことがある。野球選手がよくガムを噛んでいますが、これはこれでシッカリとした裏付けがあるらしい。ガムを噛むことによって視神経を刺激して、動体視力がよくなるからと聞いたことがある。それを真似て私もガムを噛んでピッチャーをやっていたら、不謹慎だということで警告を受けた。

このつばを吐くという行為は、これは球場の中のことですが、一般道路ではどうなっているかというと、

軽犯罪法第1条

  「公務員の制止をきかずに、 人声、 楽器、 ラジオなどの音を異常に大きく出して静穏を害し近隣に迷惑をかけた者(十四)」「体の一部をみだりに露出した者(二十)」「たんつばを吐く(二十六)」などは拘留または科料に処するとされています これらはまだ見当がつくと思いますが、 「他人の進路に立ちふさがって(中略)立ち退こうとせず、 又は不安もしくは迷惑を覚えさせるような仕方で他人につきまとう者(二十八)」というような行為についても取り締まりの対象になっています。

とある。もしこの軽犯罪法第1条が球場が対象になっていたら、まずお客さんが大応援、鐘や太鼓の騒音で、選手はつばを吐いて、進塁する選手を妨害したとして、キャッチャーはホームへ来た選手を体ごとで妨害したとして、2~3回もいかないうちに拘留または科料に処せられ、試合は不成立になる。

余分な心配をしてしまった。

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2006年6月18日 (日)

美人の生産地 チェさんに一言

美人の生産地

日本の美人の生産地は日本海ぞいにほぼ一県おき、という説があるらしい。

美人は○印の県が多く、無印はそうでない県という。(こう言っているのは、椎名誠です)

        蝦夷美人、青森美人、○秋田おばこ、山形、○越後美人、富山、○加賀

美人、福井、○京美人、鳥取、○出雲美人、山口、○博多美人、佐賀、○長崎美人、鹿児島、○琉球美人という具合らしいが、青森がどうもかわいそうだ。

こんな事書くと叱られそうだが、愛知県なんぞはまだすごい。

徳川家康が江戸に幕府を作ったために、尾張や三河からごっそり美人を江戸に連れて行ってしまった。おかげで愛知は不遇の地となったということを嘆いたやつがいた。それが郷土史家で自称ウルトラランナーのF武志さんである。私じゃないよ。

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キャノンデールにしびれた

子供がね、「あっ!すごいバイクだ。これオジサン、キャノンデールでしょう」と聞くから、「そうさアメリカ製の手作りの自転車さァ」と鼻をヒクヒクさせて言ってやった。

これを乗り回していると、同じキャノンデールを乗っている人から、「これいいですね、私も乗っています」という。同胞というか愛好者同士というか、何か連帯を感じるのか、よく声を掛けられる。

ジョギングしていると、当然のように知らないものどうしでも、「よっ!」とかApr2001_1「こんにちは」という挨拶を交わす。ところがジョギングから自転車には挨拶を交わさない。これと同じで、自転車に乗ると自転車どうしは挨拶するが、ランナーには挨拶をしない。でも私はランナーの端くれ、両者にきちんと挨拶をする。

これは嬉しい、運動性快感というのかね、この同胞感覚が好きでしびれるんです。

ひとつ気になることが出てきた。同じしびれでも、小指がしびれてきた。私はね、神経管狭窄症というヘルニアで、立つ走るがとても辛いから、一時自転車に避難している。ところが指がしびれるということは、頚椎損傷かもしれないと、ひそかに悩んでいた。

整形に行く機会が多いから、そこで診察してもいいのだが、ヘルニアだけでも物入りなのに。そこへ持ってきて頚椎損傷でということになれば、ワシの屋台骨はガタガタになっているということになる。困った。

今日キャノンデールの前輪のショックアブソバーのダスターブーツ(ゴミが入らないようにしているゴムカバー)が直ぐにはずれるので、「ポパイ」という知人のバイクショップに相談に寄った。このことはプラスチックポンドで動かないようにしてもらって解決した。

そこで指がしびれる話をしたら、なんとモーターバイクや自転車に長く乗ると、指がしびれるということを聞いた。時には物が掴みにくいことがあるというではないか。

最近私は箸で物を挟むということがしにくい現象が出てきて、密かに悩んでいた。実のところ豆腐が箸で切れない。こんなこと家内に言えない。密かの握力をつけるスプリングを引っ張り出して、リハビリを始めた。ところが十分に握力はあるのである。どこかで私の体の中で異変が起きているのではと気にしていた。

この話を聞いたとたんに元気が出てきた。整形で余分な治療やレントゲンを撮らなくてよかった。こういう指導もして欲しいと思った。意外やこんなことでずいぶん悩んでいる人がいるんではなかろうか。

キャノンデールが悪いのではない。でもしびれているのだ。

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2006年6月17日 (土)

キャノンデールで犬山へ

江南から扶桑緑地公園のサイクリングロード(2km)を たどり犬山に入った。

なかなかよく整備されているPhoto_21この緑地から、対岸に伊木山が見える。よく見ると釈迦が寝ているように見えるから、「寝釈迦山」とも言うらしい。ここから木曽川の流れがとてもさわやかに見えるし、季節の鳥がよく来るから、バードウオッチングをしている人が多い。いつ来ても多くの人が歩いている。この道を何度も歩いたしジョギングもした。気持ちのいいところだ。この緑地は犬山緑地にもつながっている。

Photo_22

犬山に入ると、昔の名残ある町並みを城が見下ろしている。この城の北からライン大橋を渡り、伊木山の北側を西進する。長い登りを息を切らせながら上り詰めると、もう各務ヶ原だ。上空をこの各務ヶ原の飛行場から飛びたったジェット機が、爆音を立てて飛んでいった。

ここの土地は真っ黒な土で、通称「黒ボク」という。古御岳山の噴火でできた台地で、酸性度が強く、農業には不向きであった。詳しくは、私のエッセイ集『鈍足ランナーの独りしゃべり』を「116.doc」をダウンロード して読んでください。Photo_23

愛岐大橋を渡り、岐阜県から愛知に渡り返す。大野極楽公園に着いた。ここに座り込み、サンドイッチと焼酎で昼食。 芝生の上で大の字になる。まるでトドの昼寝である。

気持ちがいい45km走であった。

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2006年6月16日 (金)

鈍足ランナーの勧め

先日、「ハーフマラソン 初心者」というアクセスがあった。そこで鈍足22年のキャリアから、アクセスをされたあなたにコメントします。

初心者ランナーが、まず5kmを走ると、次は10kmと進む。ここまではそんなに勇気がいるわけではない。目一杯走っても、たかがしれている。ここから一気にハーフに進むというと相当の勇気がいる。なんせ10kmの倍と感じる。そんなに走れるかしら。あの勢いで21kmなんてとてもと思うでしようね。

私もそうでした。私は先祖伝来の鈍足の家系。「親の因果が子にたたり」である。と言っても親の走りを見たわけではないが。私の場合は最初からあきらめていたから、一番後ろからスタートを切った。皆がスタートを切ってもなかなか動かない時もある。だから時間がもったいないと思い、先頭でスタートすれば、時間的な余裕ができると思いがちですが、そうではない。

先頭のものすごい勢いのダッシュにあおられて、自分も実力以上のスピードで走る。ものの5kmも行かないうちに息が上がってくる。これでは楽しいはずのハーフマラソンもヨレヨレのゴールで、自信を喪失する。

初めてのハーフマラソンは、一番後ろからスタートを切る。そして段々と前の人を抜き去る快感が出てきて、「段々よくなる法華の太鼓」で、気分が高揚してくる。そして知らないうちにハーフを走りきっている。

これから何度も経験するハーフマラソン。そんなに慌てなくてもいい。そのうちに自分の走り方を見つけるから。次はフルマラソン。これが走られれば、100kmマラソンも君にはできる。

私は41歳で走り始めて、ただいま64歳にもうすぐなる。近隣の山を走り、旧街道を走り、自然歩道を走り、ウルトラマラソンにも挑戦してきた。さくら道ウルトラマラソン270kmに3度挑戦したが、ついにTenntekirannna_1 ゴールを踏めなかった。160kmが最高であった。それでも楽しかった。もう一度自分の足で走りたい。

長い道のりを花鳥風月供として走りたい。

日頃の筋トレを怠ったツケが今頃出てきて、今ヘルニアと戦っている。一時避難にマウンテンバイクを買って、駆けずり回っている。1日に30km~50kmを走っているが、不完全燃焼だ。

長い距離のほうが面白いに決まっている。だがそれに耐えうる筋力を常々鍛えることを忘れてはいけません。

以上「鈍足の心得」を、一度としてお立ち台に立てなかった、制限時間ギリギリの22年225日8256日目で53222kmのランニングキャリアを持つ鈍足ランナー走泉(走れーせん)が、初心者のあなたに送ります。

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2006年6月15日 (木)

庭の片隅 さなぎ くも へび

_006 庭の片隅に、ナスを植えた。その支柱の先に、こんなのを見つけた。クモの糸に木の葉が引っかかっているのかな? よく見ると、蝶のサナギと知った。

この世に生きて64年のなるが、はずかしいが始めて見ました。どの蝶のサナギかは知りませんが、いつ孵るんだろうか、気になる。

倉庫の軒下にクモの巣がある。いつも気になるので取り払ってやるが、朝になるときまって同じ場所にクモの巣が掛かっている。根気のいいクモがいる。ここひと月毎日である。このクモ、そのうちにクモの巣を作るエキスがなくなるんではないか? 人事(?クモ事)であるが気になってきた。

昨日、自転車で裏庭に乗り込んできたら、なんと足元に1mをこえる蛇がいた。ヘビもびっくりしただろうが、私もびっくり。両方がびっくりして慌てた。

平成6年にお袋が他界した。翌年の法事の時だった。裏の倉庫の扉の下が、妙に曲がりくねっている。目の錯覚かと思って凝視すると、なんとクネクネ動く。驚いた、こんな街中にヘビがいる。家の周りはブロックで囲われている。ここに出入するには、車道を横断しなけれならない。ということは我が家に住み込みで働いているヘビか。

直ぐに退治をと思い庭に出ると、義兄が「お袋さんはヘビ年だったな」とつぶやいたので、それ以上は何もしなかった。まさかあれから12年たっているが、その時以来の住み込みのヘビだろうか。

ヘビをシッシと棒切れで庭の中に追い払ってやった。

庭には今メジロがモミジやツツジの虫をついばんでいる。スズメは餌をもらいに、キジバトはもみじの中にヘタクソな巣をかけている。

天気がよければマウンテンバイクで飛び出していくが、いよいよ入梅に突入して暇なひと時、私はガラス越しに本を読みながら眺めている。

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2006年6月13日 (火)

伝統文化行事やスポーツイベントまで口を出す警察

まずこのアサヒ・コムの記事を読んでいただきたい。

http://www.asahi.com/national/update/0610/TKY200606100233.html

日頃からスポーツを楽しんでいる方に聞きます。どう思いますか。私はこの警察の対応がなっていないと思う。

愛知県一宮のマラソン大会も河川敷に追いやられた。ところがこの町の600年続いている伝統行事「桃花祭」、これにも交通事情をたてに取り、激しく練りあうな、言うことを聞かないと「道路使用許可」を出さないと脅しをかける。何で警察が町の伝統文化行事からスポーツイベントまで口を出す。

今の警察は、痴漢はするは泥棒はするは、殺人までしでかす。あまり頭にきたので、平成17年9月16日から一ヶ月間だけの「官憲教育者の犯罪」を社会面から拾って記録を作ったことがある。この記録をダウンロードしてみて下さい。恐ろしいほど出てくるよ。それも毎日だ。

「kannkennnohannzai.doc」をダウンロード 

市民の犯罪防止をするならいいが、文化スポーツを妨害して、しかもこのていたらく。どうにも我慢ができない。

将来、戦争中の「特高(特別高等警察)」のようなのが出てきて、いま審議されかけている「共同謀議」をたてに、本人がなんの犯罪か分からんうちに、豚箱に入ることになれせんか? 悪代官と腹黒一家、尾張屋と結託して高い年貢を取る。黄門様助けてまえんかねェ。

あまり警察に権力を与えすぎるより、警察を監督する機関を強化するべきだと思うようになる。それと文化行事とスポーツイベントに関する「道路使用許可」は、文化庁の支所ですることにしたら。交通整理の要所は、当然警察がして、あとは市民のボランティアの協力を仰ぐ。

大きなマラソン大会はこうした協力で成り立っているのが、事実なんです。

私は犯罪記録はないし、しかも落し物はきちんと届けている善良な市民である。これだけ警察の文句を言うと、そのうちに警察にマークされ、ストーカーされるかもしれないね。

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ヨットで琵琶湖に出たのは昭和37年だった

先輩から琵琶湖で、ヨットに乗ろうと声を掛けられた。先輩は何度も練習していたらしいが、私は経験がないからというと、それならば練習に行こうということになった。

昭和37年当時、ヨットに乗るなんて贅沢の極みである。別荘を持つような人が乗るものだと思っていた。それを独身の、それこそ高校卒業して間もないヤツが乗っていいものだろうか。世間から石をぶつけられるかもしれない。そんな不安を感じながら、ヨットの練習場がある名古屋港に注ぐ、ヘドロっぽい、どこやら(名前を忘れた)の河口に着いた。

料金を払い、先輩の指導を受けるべく気を引き締めた。ところが出て直ぐに心配していた天気が崩れ始め、風が出てきて波まで高くなり直ぐに引き返すことになった。練習はこれだけであった。引き返す練習のみであった。

こんなヨット技術で、先輩の彼女と女友達とどうにも冴えない私の4人が琵琶湖に出かけた。琵琶湖にも、時間制限付きの貸しヨットがあった。天気は快晴。絶好のヨット日和。女の子を2人も乗せて、なにかあったらいいなァという期待を乗せて沖に出る。出てしばらくすると、風が止まった。ずいぶん沖まで来ているのに、風がないということは帰りはどうする。私は帰る練習だけはしてきたのに。

予想外の出来事はもうひとつあった。私たちが立ち往生しているところはPhoto_19、琵琶湖遊覧船の航路になっている。遠くから船が来る。困った私たち2人の男は船から飛び込み、綱を引くことになってしまった。ここは男の見せ場とばかり頑張った。水をずいぶん飲んだころ、船はすぐそばを通過していった。少しばかりの風を受けてヨタヨタと帰港した。期待通り、やはり何かあった。

ずいぶん疲れたヨットであった。懐かしいな。あれ以来一度もヨットに乗ったことはない。疲れるから。

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フルートを吹いていたころ

トヨタ系デーラーの大型車整備工場に経理係として配属になった。ここの従業員は70人ぐらいで、9割は男であった。

ここに、音楽好きな者が集まってバンドをつくっていた。先輩がフルートを私に与えて、練習するようにという。私はね、チンドン屋が好きでねェ。いまでもジンタの音を聞いただけでワクワクする。それが高じて中学で吹奏学部に入ったぐらいだ。

1年生のときはトロンボーンをやった。2年生はコルネットをやった。3年生にはドラムもやった。こう書くと、とても器用に見えるが、実はドラム以外は物にならなかったというわけ。でもジャズが好きで、グレンミラーが好きで、ミュージカルが好きで、いつも楽器のそばにいたかったのは事実であった。

はじめてもらったボーナスでスキーを買った。2度目のボーナスでステレオを買ってジャズに聞きほれていた。スチールギター、ウクレレ、ハーモニカ、横笛も持っていた。それほど音楽が好きだった。今でも昔のレコード盤は持っているが、残念ながらレコード盤回転式の蓄音機がない。

話しを戻すと、昭和30年ごろ、市内で吹奏楽団を持っていたのは、消防署とうちの中学校だけだった。祝日の国旗掲揚には、全校生徒の前で吹奏した。市民大会ともなれば、消防署と合同演奏があった。このころはマーチになると結構軍歌を吹奏していた。軍艦マーチ、君が代行進曲などもあった。

Photo_20こんな経験から楽器には恐怖心がなく、フルートにも興味があった。自宅に持ち込み、練習を始めた。ところが近所のおじさんが、「アンタこのごろ尺八を吹くのかね」という。これには笑ったねェ。このすぐ後に転勤となり、あえなくフルートは先輩に返した。

昭和41年大衆車ブームが始まり、私はトヨタのセールスマンとなった。いつも帰るのが午後10時過ぎという激務となり、スキーや楽器をたしなむ時間すらなくなり、今に至っている。

青春って可能性のかたまりのようで、こんな激務の中でも、いつも何かしていた。それにしても、ゴソゴソとよく動いていたものだ。

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2006年6月 9日 (金)

公園は金糸梅で満開

Photo_18 公園はいま、この花が満開である。

入梅に入って直ぐに雨が上がった。いつものことだが。気象庁も、もう少し辛抱ができないのだろうか。何か早く入梅の宣言が出したくて仕方がないという、遠足よ早く来い来いと言う子供みたいだ。

雨上がりを確認して自転車を取り出した。途中の公園で、きんしばい(金糸梅)が満開であった。公園や街路樹によく使われている。金色で固まって咲いていると、パット艶やかになり美しい。

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こんな禁止(金糸)もあった。

車の向こうの街路灯(防犯灯)。高さは車の車高(164cm)から判断すると、約3倍の5mぐらい。

この街路灯の根元をよく見て下さい。もう腐って穴が開いている。その上に黄色いテープが巻きつけてある。ここにはなんと「立ち入り禁止」とある。

半径5m範囲の立ち入るなという。ここは半径500mに高等学校、中学校が1校、小学校が2校あり、市民病院がある。入院患者もこの公園に来る。通学の子供もここを通る。日中は閑静なところといえるが、通学通勤時間には人通りは多い。ここに出入する道が、この立ち入り禁止範囲になっているが、交通止めにはなっていない。これから台風が来る。強風で倒れるかも知れない。これが人に当たれば怪我ですまない。車に当たれば多額な賠償が必要になる。

市は工事する金がないかも知れないが、保障する金はあるようだと、ここに来る朝のラジオ体操の仲間と笑っている。

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キャノンデール(マウンテンバイク)に乗ったら花や虫が見えなくなった

昨年は腰痛を起こしながらも、何とかジョギングしたりウオーキングをしていた。

あのころは、デジカメを持って小さな虫や、名も知らない小さな花を写していた。ところが最近の写真を見ると、風景が多くなっているのに気が付いた。それもそのはず、スピードが速くなった分周りが見えなくなったのである。

旧街道をジョギングで通りかかると、なんでもない地蔵や小さな神社、奥まったところの民家、川の中の虫の声や魚がよく見えた。これは自動車で通ると、ほとんど事前に神社仏閣などの記した観光案内書に頼って行動しないと見損なうのである。

これがキャノンデールのスピード感に酔いしれるようになってからは、ほとんど地面しか見ていないから、周りを見なくなってしまった。

今日たまたまアサヒ・コムのマイタウンから愛知県を検索し、コラムの中に「散歩しながら行ける 愛知スケッチ100景」が出てきた。http://mytown.asahi.com/aichi/newslist.php?d_id=2400032

これは、塚田譲さんがスケッチした場所を絵と文で紹介している。なかなかいい感じのスケッチに、フトその昔、ジョギングが楽しくて仕方がないころ、デイバックにスケッチブックを入れて、ところ構わず画家気取りでスケッチしたものである。 Photo_17

走ることに一生懸命で、こんな余裕のある時間が無くなっているのに気が付いた。腰痛で走られなくなった腹いせに自転車を乗り回している。ウエストバックにはデジカメを入れている程度だ。そんな自分を、もう少し見直す必要がありそうだ。

思いついたが吉日で、近くの緑道へ出かけた。

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2006年6月 6日 (火)

ジャンボタニシは駆除するより食べるほうがいい?

いま田植えのシーズンでこれからジャンボタニシが気になるころです。ですから、昨年書いたものをもう一度公開します。

先日スーパーの鮮魚コーナーにタニシが出ていた。茹でてむき身になっている。こういうのを見ると我慢ができず、つい手を出してしまう。これを味噌で食べるといい酒のつまみになる。さっそく買い入れた。

昔はわざわざ捕りに行って、よく食べた。チョット泥臭くて、それでも気にならなかった。最近はどの田んぼでも、大きなタニシがいる。これがジャンボタニシである。これを茹でたら食べがいがあるのに、と思ったのは誰でも同じだと思う。

ジャンボタニシの正式名は、スクミリンゴ科リンゴ貝属スクミリンゴ貝といいます。

原産地は南米アルゼンチンラプラタ川の淡水巻貝。従来のタニシと近縁。

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 tanisi_1         1971年長崎県島原市の養殖業者が、アルゼンチンから食用に輸入したのが始まりで、新聞に「ジャンボタニシの稚貝を譲ります」という広告が載り、食用に売れるということでブームになったらしい。これがマルチ商法まがいであったという意見もある。

念のためデジカメで今の状態を撮って来た。左は交尾中。右は卵。

1981年日本各地で養殖事業が始まった。ところがこのジャンボタニシは稲を食い荒らすという。

1983年12月農林水産庁がジャンボタニシを有害動物に指定した。

1984年ジャンボタニシによる水稲、い草への被害続出。被害地は九州、沖縄、山陽、四国の各地方で特にひどく、近畿、東海、関東の太平洋岸にも及んでいる。現在はもっとひどいと思う。

1985年養殖業者は35都道府県に495業者に及んだ。

1987年業者は完全廃業となる。

実はコイツの恐ろしいのは、危険性の高い寄生虫が寄生している場合があるということである。それは「広東住血線虫」と呼ばれる寄生虫で、成虫はネズミの肺動脈に寄生している。このネズミの糞の中に幼虫がいて、中間宿主になるアフリカマイマイ、ナメクジ、カエル、淡水エビ、ジャンボタニシ、ネズミに感染すると成虫になれる。この中間宿主の感染動物を人が生で食べると、胃や腸の壁から血液やリンパ球により全身に回り、やがて脊髄や脳などの中枢神経系に集まってきます。

実はフランス料理で珍重されているエスカルゴ、この食用カタツムリはほとんどタイから世界中に輸出されているアフリカマイマイである。世界中ですから日本にも入っている。コイツの殻をむき、熱湯でゆでて輸出しているので感染することはないが、現地タイでは調理器具に幼虫が付いている場合があるから、お気を付けあそばせ。

脳に侵入すると、好酸球性髄膜脳炎を起こし、激しい頭痛、発熱、顔面麻痺、四肢麻痺、昏睡、痙攣、神経異常が起きる。死亡することはあまりないが、精神薄弱、視神経萎縮、四肢不完全麻痺などの後遺症が残る。

ゲテモノ食いで、「ナメクジの丸呑みするとぜんそくが治り、美声になる」「アフリカマイマイや、アオガエルは心臓に効く」というが、生食は止めたほうが身のためだ。もし触ったら手をよく洗うことです。

生野菜を食べる機会が多いから、よく洗うことです。ナメクジのはったあとには、幼虫がいるかも知れない。この生野菜も最近外国産が多い。自然食ブームに乗っかって自慢していても、外国産では十分気を付けないと、何にもならない。家庭菜園ならまだ安心できるが。

沖縄では2000年6月に死亡例も報告されている。

デジカメをもって撮影に出かけた一宮郊外の田んぼは、いたるところにいる。この駆除に農協はどう対処しているのだろうか、気になる。そこでJA尾張本部に電話で問い合わせ、対応の資料をFAXで送ってもらった。

送られてきたのは、農協、全農、経済連のJAグループ御推薦「キタジンp粒剤」のパンフレットである。私は農協がどう対処しているか、組合員にどう指導しているかということが聞きたかった。一応FAXを確認したら、魚毒性B類相当との記述が気になった。

この魚毒性B類相当とは、水産動物に影響をおよぼすので、養魚田、空中散布の使用は十分注意ようにすること、とある。

再確認すると、組合では、田植えシーズンには、このパンフレットを配布して注意を促しているという。でも椿油カスをまくと、ジャンボタニシが窒息するという方法もあるがというと、これは農薬としてに認可されていないので、使用のPRはできないという。どちらも水産動物を死滅させることには変わりないが、少なくとも椿油カスは天然成分で毒性は全く違うと思うが。変なの。

もうひとつの問題は、専業農家なら真剣になるが、最近は準農家や業者に任せた田んぼが多くなり、これに関心がなくなってきているという実態が浮き出てきた。

実は岐阜県の海津町では、平成14年の「水郷パークの風車祭まつり」で、ブラックバスやこのジャンボタニシの料理試食会が催されたという。大変好評であったという。改めてHPで確認すると、結構全国的に食べられていることが分かった。でも生食は厳禁ですよ。

参考・九州農業研究センターの『ジャンボタニシ』HP。『愉「貝」な仲間たち』のHP。藤田紘一郎著『笑うカイチュウ』より。

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スズメの砂浴び

庭に何匹ものスズメが来ている。毎日餌を撒いてやるから、木の中や庭にはいつもスズメが待機している。

窓越しに眺めていると、土を掘り、小さな穴になると、そこにうずくまるように座り、羽根を広げて身をくねらしている。なにしているんだろう。単なる水遊びの代わりだろうか。毎日来てはやっているから、穴が段々と深くなる。今日よく見てみると、一羽がちょうどスッポリ入るくらいになっていた。そんな穴が7つもあった。

私のデジカメは古いので、望遠が付いていなくて,

スズメが穴で遊んでいる姿は撮れませんでしたが、穴だけを撮りました。なぜこんなことをするのかを探してみると、こんなホームページを見つけた。http://rca.open.ed.jp/oh/bird/mc05.html

“羽づくろい”するのはなぜ?

鳥は、クチバシを使って羽をひんぱんに手入れ  をします。これは、よごれや寄生虫を取りのぞくことと、換羽(かんう)を促進(そくしん)することに効果があります。また、カモの仲間は、尾羽のつけ根にある尾脂腺(びしせん)から分泌(ぶんぴつ)される脂(あぶら)をクチバシにとり、羽毛にぬりつけています。このほかに、水浴び(みずあび)や砂浴び(すなあび)、日光浴なども羽の手入れの一つになります。

家で飼っている手乗りのセキセイインコは、家 内が台所で野菜を洗っていると、決まって飛んできて、その野菜の中の飛び込んで、水遊びを始める。「やだ~、また洗わなくてはいかんのに~」とケンカをしている。

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結構良く喋ってね、自分の名前を言って自分で返事していたり、行ってきますからただいま、あとはなに言っているのかよく分からん。なまいきに、これは血統書付きでね。ワシの友人が開発した「ゴールデンフェイス」という。

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2006年6月 5日 (月)

入院患者に迷惑な宗教が入り込み勧誘

私の友人が交通事故で入院した。そこへ見舞いを装って〇×という宗教関係者が入りこみ、困ってしまい、転院を余儀なくされていると聞いた。寂しい入院中に、見舞いの人が来ないのはかわいそうであるが、こういう見舞いは迷惑千万である。おかげで転院先を不明にしているという。だから余計に見舞いの人がこなくなり、寂しいという。

私は気の毒になり、警察に相談した。受付て下さったのは「保安」であった。次にまた来て「勧誘に迷惑を感じる」ようなら、保安の担当官を呼び出せば、処理してくれることを確認した。この件を翌日チラシにして、朝のラジオ体操の会で布教を始めた本人と周辺の友人にこれを配布した。これで枕を高くして寝られる。

この布教をした本人も、下肢に不自由がある。それすら治らないのに、他人に布教するなと、ストレートの批判した人がいた。心情は私も同じだが。そこまでは言わないようにしている。宗教は自分で決めること、他人の宗教観までとやかく言わないことにしている。

入院中の患者は気が弱くなっている。これを狙い撃ちにして勧誘に来る。まるでハゲタカだ。

私の従姉妹もこの宗教に入っていた。そして若くして末期がんで亡くなった。藁をつかみたい気持ちは分かるから、あえて反対はしなかった。葬儀の時に、この宗教の幹部が来て、「旦那さんに宗教心がないから奥さんが亡くなった」とぬけぬけと言い放った。

治療は手をかざしただけで、病気が治るというものらしいが、正式な名称が分かりませんので、〇×であしからず。

私はまったくの無信仰者ですが、人の宗教まで否定はしませんが。

神仏がいるなら何で戦争なんて起きるか? 今の戦争を見て御覧なさい、ほとんどが宗教がらみでしょう。神仏の名を借りて、人間が起しているのに気が付いていない。

こんな言葉を知っていますか、「宗論は、どちらが負けても釈迦の恥じ」。分派して多くなった宗派の先で、論争しても、本元のお釈迦さんは困るだろうに、ということを言っている。このことはキリスト教でもユダヤ教でも、どの宗教でも同じことが言える。

こんなことを真剣に研究した人がいます。寺に生まれ、帝国大學を出て、仏教の経典読み、サンスクリットまで読んで調べたという。近年92歳で亡くなりましたが、この人の書いた全く仏教を否定している小論があります。信じる信じないはあなたの勝手です。ただ紹介するだけですから。私に反論しないでね。

http://yasuo-yaohide.hp.infoseek.co.jp/shaka.html

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2006年6月 4日 (日)

粗大ゴミを直接焼却場へ

自転車2台、絨毯1枚、木箱1個、掃除機1台、布団1枚、あと諸々。合計70kg。7百円であった。

これを粗大ゴミ用のチケットをコンビニで購入すると、一品800円である。焼却場に行くと結構、車に粗大ゴミを積んで来ている。

入場する時に免許証の提示を求められ、電話番号を聞かれた。そして「これは家庭からのゴミですねと」確認される。今日私は友人の軽四輪を借りてきた。この車にはタイヤが2本乗っていた。これを見つけた職員が、「タイヤはいけませんよ」という。このタイヤは元々友人のタイヤだから、ココで処分するつもりはないことを言った。ここで車ごと重量を計り、カードを貰う。このカードに重量が入力されている。これで入場許可が出て処理場の中に入った。

最初は燃えるゴミを捨てる。ここに布団や絨毯、木箱を、ビルの3階ほどの高さから、手すり越しに捨てる。少し斜めになっている壁を、絨毯が滑り落ちていく。底の方には膨大なゴミが機械でうごめいているのを見ると、吸い込まれそうで足がすくんだ。

処理場を回遊して自転車置き場。電機製品やストーブなどの置き場、プラスチック製品の置き場に分類して処分は終わった。

出口の計量バカリの上に車ごと乗せてカードを出すと、カタカタと700円のレシートが出てくる。

なかなか処理できなかった大ゴミがなくなり、少しばかり屋敷の中が広くなった。

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2006年6月 3日 (土)

キャノンデールで養老の尾根越え失敗する

尾張平野から西の方を見れば、約30km先に養老の山々が見える。この山の尾根を自分の足で、何回かに分けて自分の足で走ったことがある。

もう10年以上も前になるか、今は亡き『ランニング登山』の著者下嶋渓さんの本を、古本屋で見つけてから、このランニング登山にはまった。それ以来、尾張から見える多くの山を走ってきた。

今そのころをずいぶん懐かしんでいる。腰痛になり走れなくなった自分が、今一時しのぎに自転車を乗り回している。どこもかも自分の足で走った跡を、情けなくも自転車で徘徊して当時を回想している。

先日、マウテンバイクで金華山のドライブウエーを走ってから、ふとランニング登山を思いだした。ならば養老のど真ん中を東西に抜けている二之瀬峠に挑んでやろう、と思って出かけた。

東の徳田の円満寺の北から入り、二之瀬峠を越える。この道は何度も自分の足で走っているから、気楽に入った。ところがものの2kmも行かないうちに、ギアーは最低速にして立ち漕ぎしても前に進まない。なんと私の実力ではここまでであった。歩いて登るほど腰は快復していない。

よくよく考えれば、ここまですでに30km走っていて、東から登る道は、標高10mから412mまで8kmの登りである。西から登れば標高差200m、4kmの登りだから何とか辛抱できる距離だ。

ランニング登山するときは迷子にならないように、国土地理院の25000分の1地図と磁石を持って山に入っていたのをすっかり忘れていた。今日の失敗は事前の調査や当日の慎重さを欠いた結果であった。

来る時に乗った渡し舟を呼んで木曽川を渡って帰った。川の中から養老をつくづく眺めて、悔しさが増してきた。今度は車にキャノンデールを積み込んで、近くまで行ってから挑戦するか。

最近自転車を乗るようになってから、足がうまく組めなくなった。椅子に座って足を組むと直ぐに外れてしまう。ジョギングしているときはフクラハギが太かった。最近少し痩せてきたと思ったら、今度は太ももの裏側が太くなりかけた。椅子に座っていると尻の下がコロコロする感じである。自転車での訓練の賜物か。これで腰痛が快復していくとありがたいが。

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2006年6月 1日 (木)

キャノンデールで金華山登山

月曜日、岐阜市内の金華山へ出かけた。大変天気がよく、走っていても気持ちがいい。

鵜飼で有名な長良川と市内を見下ろすようにそそり立っている。この山は何度も自分の足で登った山だ。一宮から走って頂上にたどりつき、また走って帰りと、フルマラソンに値する。

今日はそれを自転車で来た。なんとなく軟弱な気がする。南側の岩戸公園から入る。実は今日はここで帰るとつもりでいた。フトこのドライブウエーを走ってみようか迷った。この「フト思う」という気持ちを振り切って帰ると、後で後悔するに決まっている。そういう時は実行あるのみと最近思うことにした。Photo_10

入ると直ぐに、木の割れ目にパン屑が入っていた。それにここの頂上付近で飼っているリスが逃げ出して、このパン屑をあさっていた。

標高328.9mの小さな山だが、中に入ると実に自然ぽくって、森が姿を壊されることなく残っている。だから鳥もたくさんいる。この小さな山にはたくさんの登山道が付いていて、頂上の売店には、登頂記録があり、3千回?という記録を10年以上も前に見たことがある。

小さな山でも一人前に坂道がきつく、立ち漕ぎをして走る。途中、坂を下ってくるランナーを見て声を掛けたら、なんと消防署のF君ではないか。しばらく立ち話をして分かれた。以前は私もここを真剣に走っていたものだ。3

標高150mのところに展望台があり、岐阜の市内と一宮方面に展望が開けている。ここは抜け道にはならないから、平日は車が来ないことも知った。これからいいトレーニング場になる。久しぶりに心拍数が上がった。

普段なかなか岐阜市内を走ることがないから、自転車でゆっくり徘徊をする。この日50kmを走った。

この近辺にサイクリングロードというのはどこにあるんだろう。パソコンで検索すると、これを探し当てた。このサイクリングロードを近々走ってみたいと思った。

http://masakn.web.infoseek.co.jp/cpj/Ise.htm

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