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2006年9月21日 (木)

童話の本の山

本が捨てられない性分はこんなところでも山積みになっている。

どうも台風13号のせいで、キャノンデール(マウンテンバイク)で走りまわれない。これがランニングなら、雨でも頑張って見えるという尊敬の眼差しを感じる時があった。ウインドブレーカーを引っ掛けて飛び出していたものである。

それがどうだ、キャノンデールに乗換えたら、雨降りは休みである。濡れた道路でスリップ転倒と泥はね上下真っ二つになるからである。そうすると世間は、そうまでして走らなくてもいいのにという蔑視と言うか軽蔑という眼差しを感じるからだ。

そこで久しぶりに倉庫になっている「離れ」に、目的もなく入りこんでだ。大きなダンボールが目に入った。なにが入っているんだろう。埃除けに駆けてある布地を外したら、なんと童話の本がドサッと出てきた。

私は自分の読んでいる本でもほとんど処分したことがないし、人に貸さない主義だ。以前は結構貸していたが、戻ってこない大事な本がでたり、しかもそういう本を誰に貸したか覚えがないという情けない状態に往生した。しかも又貸しされて本が行方不明になったりしたからである。以後貸さない主義にした。お蔭で本箱が5本、収納できない物は「離れ」に格納されている。その中の一部に童話本がなんと大きな段ボールに107冊もあった。

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この童話を読んでやった子も、もう25歳になる。この子が結婚して子ができたら、その時に祝いにドサッと送りつけてやるか。まだある電子ブロックも4機ほどある。親が読んだ本や玩具を自分の子と遊ぶなんていいじゃないか。

隣の段ボールからなんとレコード盤が相当数出てきた。これを聞くにも、もうレコード針を使って回す蓄音機がない。これは我が青春時代に、好んで聞いたミュージカルやジャズ、クラシック、カンツォーネ、邦楽、童謡、軽音楽とかなり広範囲な物が含まれていた。

懐かしい日々を思い出させてくれた倉庫兼「離れ」であった。

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