« 吉野家の牛丼とアメリカの安全意識 | トップページ | 昭和シェルのガソリンとハイオクの給油間違い。ウリをメロンと間違えたなら逃げるが »

2006年9月23日 (土)

イワシの缶詰の恐怖

なぜかコイツと立ち向かうと、なんとなく尻込みをする。

こういう缶詰類は、いざ開ける段になって、プルトップに指を掛ける。そのときにふと、爪がはがれやせんだろうかと、つい思ってしまう。女性なんかで「付け爪(ネイル?)」というのかね。それをやっている人って、そんな思いはないだろうかと、余分な心配をしてしまう。なんとか指の先にプルトツプを引っ掛けてまずは安心する。そして引き上げる。端っこがパコッと口を開ける。

ビールなんかであると、ここからは、飲みたいという期待が泡のように湧き上がる。ジュース類でも同じことがいえる。だがどうしてもワシの缶詰めには、ここから指がすくむのである。フタを徐々に開いていくうちに、もうあと少しというところで躊躇するのである。

フタがだんだんと反り曲がってきて丸まってくる。もう少しでフタが本体から分離されるというところで、またため息を付く。この反り曲がったフタが、なにかしでかすんではないかという不安がムラムラと湧き上がってくるのである。

あと少し、アッ離れた。フタが離れた。フタに付いた煮汁がパチッといった瞬間に飛び散る。それを避ける余裕がないないほど勢いがいい。今日もやってしまった。Sep2001

クッソーと腹を立てるが、ヤッパリ反抗してきたか、と思ったが後の 祭りである。白いシャツに煮汁が付いた。今日はその後にもう一つの不安が的中した。このフタで指を切ったら痛いだろうなと思って注意していたにもかかわらず、小指を切ってしまった。丸い缶詰めにはこういう恐怖感はないが、なぜか楕円の缶詰と焼酎や酒、しょう油の瓶のフタに被せてあるアルミ栓に、恐怖を感じる私が変なのだろうか。

小刀を持って竹細工なんかしていて、指に気をつけないと、と思っていて指を怪我するなんて事あるでしょう。予感が的中するんですね。我が豚児が小学生のころ、知多半島横断のハイキングに出掛けた。途中竹薮で竹を切り、歩きながら竹とんぼを作ってやろうとしていた。子供の前でいい格好しようと思っていた。ところ意に反して指をひどく切ってしまった、

左指の拇印を押すところを爪と分離するように関節近くまでざっくりと切った。途中の民家から救急車を呼んでもらって病院へ搬送され、手術をする羽目になった。医者が「指紋が少し狂うがいいですか?」と言いながら幾針か縫ってもらった。この後、ハイキングをやり直して、潮干狩りまでして帰った。この日、家に帰ってから子供が、「今日ねっ、一番楽しかったのはね、救急車に乗ったんだよ」と母親に興奮して言った。今でもプルトップを引くときに、この指がうずく。

この恐怖を感じるイワシの缶詰が、どういう分けか我が家には何個もある。今度から軍手はめて、タオルをかけてからペンチでしようと、心に刻んだ。

|

« 吉野家の牛丼とアメリカの安全意識 | トップページ | 昭和シェルのガソリンとハイオクの給油間違い。ウリをメロンと間違えたなら逃げるが »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: イワシの缶詰の恐怖:

« 吉野家の牛丼とアメリカの安全意識 | トップページ | 昭和シェルのガソリンとハイオクの給油間違い。ウリをメロンと間違えたなら逃げるが »