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2006年10月12日 (木)

美濃路を走る

9日美濃路を走ろうと思って出掛けた。一旦「いちのみやタワーパーク」へ行く。空はスコ~ンと晴れ渡り、気持ちのいい風を切って走る。この河川敷を一宮健康ウォーキングの集団が歩いている。3kmほど切れ目なく、ウォーカーでギッシリである。

北に見える山々が今日空気が澄んでいるので、どこまでも見渡せ_003_6る。カメラを取り出してパノラマにした。起町から愛知県側の美濃路に入り南下する。道は車がすれ違うぐらいの道がウネウネと続く。狭い路地から秋の匂いが漂ってきた。もうキンモクセイが黄色の花をつけている。

畑にはコスモスがわずかな風を受けてユラユラなびいている。コスモスの花言葉って「乙女の心」と言うんだそうだ。それでか、わずかな風でたなびくのは。

萩原に入ると、10月15日「素人チンドン祭り」の張り紙が目に入った。ここは小さな町だが、よく人を集めている元気のある町だ。あらゆる商店がそろっている。八百屋、花屋、魚屋、食堂、肉屋、金物など何でもある。スーパーが街並みになっているようだ。こういう街作りが必要なんだろう。

稲沢までは田んぼ道を縫うように走る。信号が少ないがスピードは出せない。どこから何が飛び出すか分からないからだ。稲葉から清洲に入ると、子供獅子が出てきた。そういえば、ここに来るまでの神社には、秋祭りの幟がはためいていた。

清洲JR駅向かうウォーカーが大勢いた。どうもウォーキングの大会があるようだ。私の走る方角がウォーカーに逆行しているから、圧倒的多数の人から見られながら、人を縫うように走ることになった。清洲から新川に入ると道一杯の人になってきた。

新川橋を越えると西枇杷島に入る。もう自転車を降りなければなら_010_8 ないほどになった。交通止めをして、「新川祭り」をやっていた。100mおきに地元町内の青年部、婦人会、女性部が工夫を凝らした店を出して、飲食物を売っている。中には移動販売店も客に迫ってくる。缶ビールが300~250円で売られている。みたらし、焼そば、店先では商品を格安で販売、八百屋では大根の安売りをやっている。饅頭屋では菓子を、うどん屋では弁当を、金物屋ではアクセサリーを、若い人は何でも持ち出してきて、道路に座り込んで売っている。道路は子供がチョークで落書きをしているコーナーもある。射的、吹き矢などゲームコーナーもあって活気があった。

ここでふと我が一宮を考えた。一宮の七夕は全国的にも有名であるが、毎年もう止めるという話しを聞く。今年は飾りつけが少し減った。この本町通は空き店舗が増えて、協賛金が取れなくなってきて、飾り付けの費用に困っている。ここ一宮は行政の金を当てにして、自ら町を起すという気力がない。本町は1~4丁目まであるが、アーケードを改築するときに一丁目は資金的な面で、アーケードまで昔の古いままという有様。七夕飾りも市内各小学校からの短冊を飾り付けている。費用0円である。(学校の飾りつけはこれはこれで良いが)

とにかく活性化に消極的過ぎるのが、一宮商人の悪い癖だ。そのくせ金は持っている。市内の銀行が撤退しているのは、貯めこむだけで、借り手がいないので銀行としては妙味がないからだろう。

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