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2006年10月11日 (水)

田んぼの嫌われ者、ザリガニとジャンボタニシ

先日テレビで九州のどこかは知らないが、アメリカザリガニが増えて仕方がないので、駆除するだけでなく、これを食べる方向で解決しようとした。これを小学校へ持ち込み、子供達に見せて、その場で茹でて食べさせた。最初は怖がっていた子供も、手を出してオッカナビックり食べかけた。そしたら「エビとおんなじ味がする」と喜んでいた。

これをこの地方の特産にしたらどうかということになって、今京都の高級料亭に交渉しているという。ものは考えようだね。

私達のこの地方では、アメリカザリガニのことをマッカーサーと呼んでいた。マッカーサーは連合国最高司令官のこと。あの真っ赤なアメリカザリガニと引っ掛けて言ったのだろうか。節足動物門甲殻類十脚目ザリガニ科というのが戸籍となる。(いかめしいねェ)こんな方法でジャンボタニシも食べればいい。

日本には淡水産のザリガニがかなりの量いたらしい。昭和10年ごろ、青森の弘前公園で、遠来の花見客相手に、生きたザリガニが1銭で3匹、串さしが3本10銭で売られていた。戦後末期の食糧難時代に貴重なタンパク源として乱獲された。

アメリカザリガニは大正7年に輸入されたウシガエルの餌として、昭和5年サンフランシスコで手に入れた。100匹は航海中に20匹となったが、ともあれ現在の鎌倉市にあった食用ガエルの池に放し飼いにされた。ところが、この養殖事業がだめになり、ザリガニは周辺の水田に逃げ出して、関東一円、やがて全国へ広がっていった。

昭和20年の年末、東京の御徒町で、1山5円で仕入れた動物学者の高島春男は、賞味した結果を次のように記している。

「蛤などと澄まし汁の身にすると、見事な猩々緋色が映えてまことに味覚をそそり、バカにならない。かき掻き揚げにしても、佃煮のように濃い目の味をつけるのも妙である。小さいものなら、甲羅ごと食べられる」チョット食べてみたい気もしますね。今の田んぼをのぞいても、あれほどいたザリガニはこの濃尾平野では見かけることは少なくなった。

ジャンボタニシも食べればいい。ただザリガニもタニシも寄生虫がいるから生食はしないように。

ジャンボタニシの正式名は、スクミリンゴ科リンゴ貝属スクミリンゴ貝Oct0610 といいます。原産地は南米アルゼンチンラプラタ川の淡水巻貝。従来のタニシと近縁。

1971年長崎県島原市の養殖業者が、アルゼンチンから食用に輸入したのが始まりで、新聞に「ジャンボタニシの稚貝を譲ります」という広告が載り、食用に売れるということでブームになったらしい。これがマルチ商法まがいであったという意見もある。

1981年に農林水産庁が有害動物に指定したので、1987年には完全廃業となった。それ以降は野放し状態で、ジャンボタニシだけが大発生して田んぼの嫌われ者になった。

実はコイツの恐ろしいのは、危険性の高い寄生虫が寄生している場合があるということである。それは「広東住血線虫」と呼ばれる寄生虫で、成虫はネズミの肺動脈に寄生している。このネズミの糞の中に幼虫がいて、中間宿主になるアフリカマイマイ、ナメクジ、カエル、淡水エビ、ジャンボタニシ、ネズミに感染すると成虫になれる。この中間宿主の感染動物を人が生で食べると、胃や腸の壁から血液やリンパ球により全身に回り、やがて脊髄や脳などの中枢神経系に集まってきます。

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