戦後の屋台の飲み物ブーチューって?
昭和36年当時、私の行きつけの屋台があった。私は父が早く他界したので、家の中で酒を飲むという雰囲気を知らなかった。就職していくらもしないうちに、私が随分酒に強いことを知ったし、周りには随分と強い人がいたから鍛えられた。
勤めの帰り道、チョット寄るようになったのが屋台だった。安月給取 りには、ちょうどいい料金で飲めたからだ。市役所の前の公園には、三軒屋台が並んでいた。その真ん中の「串焼みずの」というのが、いい味を出していた。味噌味のドテ、串焼、おでんがいい匂いをさせていた。
どうも日本人は、炭に落ちたしょう油の焼ける匂いに弱いらしい。縁日の屋台のお兄ちゃんが、ワザワザしょう油を炭に垂らして焼けた匂いで客を寄せるといった。そういえば、イカ焼、サザエの壷焼なんかは直ぐに手を出すから、絶対に弱い。うなぎ屋もいい匂いだ。
屋台のラジオからは、廣澤虎造の「清水の次郎長」、坂本九の「上を向いて歩こう」植木等の「スーダラ節」、「伊東にいくならハトヤ」が流れてくる。スポーツでは「白鵬時代」で、大鵬が勝っただの、柏戸が勝ったと一喜一憂した。ファイティング原田がまた勝った。力道山の空手チョップが炸裂したと客同士で夢中で話し込んだものだ。
映画では「ウエストサイド物語」に熱中し何度も見に行った。こんなころ長嶋茂雄が「社会党の天下になれば野球ができなくなる」と騒いでいた。宇宙では世界初の有人宇宙船でガガーリンが飛び、映画ではモスラが飛んでいた。
久しぶりに店で昔話をしていたら、親父さんが「ブーチュー」って知っているかいという。「ブーチュ?なにそれ」「飲み物でなァ、焼酎をブドウ酒で割った物だ」という。
「これが当時の若い連中に人気があってなァ、ハイカラだといって」
「こんなのも流行った。ポーチューというのもあった」
「また焼酎割りか?」
「ウン、これは焼酎のポートワイン割り」これなら今でもいけそうだねと笑った。
いまは屋台を止めて、みんな店を構えている。でも屋台と同じ温か味を感じるのは、当時の客がまだ出入いているからだろう。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント