若狭の思い出
昭和43年~48年頃、若狭湾の日向湖の脇の松原旅館という民宿へよく出掛けた。当時ここは大阪の三菱自動車の指定旅館になっていた。そこへ私の勤務していたカローラ店の旅行に使った。オヤジさんと女将さんの素朴な人柄と、格安な料金が大変気に入った。さっそく親会社のトヨタ店に勤める友人、俊夫と雄次を連れて行った。私と同じで世話好きで、それぞれの営業所の幹事をやっていた。
各人が営業所の旅行を企画する、気に行った人が家族を連れてくるという連鎖反応が起きて、アッという間に三菱を追放して、トヨタが乗っ取ってしまった。
年に2~3回遊びに行っていた。私たちが行くと決まって近所の子供が遊びに来て、ハーモニカを吹いてやったり、ゲームをしたりして裏庭でいつまでも遊んでいた。昼間はすぐ近くの海に入り、素潜りでウニやアワビ、サザエを捕ってそのまま食べた。アワビの小型な3cmほどのトコブシは茹でて食べた。
夜になれば若狭で捕れたての海産物で食卓が賑わう。この松原旅
館が閉鎖したのは、旅館の料金を一律にするという、組合からの通達に反感を持って止めてしまった。
あれから34年、ふと思い出して連絡先が分からないか2人に聞いたところ、俊夫が当時の年賀状を持っているという。(マァよくそんなものしまってあったな)
さっそく連絡したら、女将さんが当時のことをよく覚えていて下さった。なんと青春時代の足跡を見つけた。一度近くの来たら寄るように、そして当時の写真もあるという嬉しい話で電話を切った。若狭に私の痕跡を残すように、私のエッセイ集を贈っておいた。
そうそう思い出した。敦賀より北に河野海岸がある。ここにも行き付けの民宿があった。確か下駄屋でなかったかなァ。目の前は海で、すぐ近くに船止まりがあった。漁師が水揚げをするのが面白く、よく出掛けた。
ナマコが獲れたが食べるかと、船から面白半分に放り投げる。落ちてパンクしたハラワタからコノワタを取り出して食べさせて貰ったことがあった。珍味と言うが味が分かるほど量がないから、今もって味の思い出ではない。フグなんかも獲れたのを、ほんの少しシッポの所を切らずに、そこに紐に掛けて干しておく。
フグの毒はどう処理したのかは知らないが、たくさんもらってきたことがあった。家で焼いて食べると、なぜか少ししびれるのがあったので、怖くなり、飼い犬に食べさせて半日様子を見てから食べたことがあった。朝方網を上げに行くと言うから、乗せて貰う約束をしたら、船頭が時間を間違えて先に行ってしまったことがある。船頭からお詫びに、シイラの大きなのを3匹頂いた。これはすぐ鮮度が落ちるからなかなか市場には出にくい代物で、地元でよく食べるという。これは氷詰めにして持ち帰り、その日の内に食べたがうまかった。
機会を作って行ってみたいものだ。ある日の青春時代を求めて。
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