悪女の深情け
久々に駅の構内を通り抜けた。ここに何人かの女の子が、構内の柱を背もたれにして、座り込んでいる。どう見てもふしだらな感じである。醜女(しこめ)集団である。オレの子供なら張り倒してやったのに。そんな時フト浮かんだのが、「悪女の深情け」ということわざであった。
この意味は、醜い女は美しい女に比べると、愛情や嫉妬心が強い。転じて、ありがた迷惑であるという意に用いる。近ごろは「悪女」を心の悪い女の意に用いるが、本来は醜い女を言う。
さてここでいう醜いとは、外見上なのだろうか。『広辞苑』では、「醜い・見憎い」は見ていやな感じがする。見苦しい。容姿が悪い。みめがよくない。とある。
この中で辛うじて、「見ていやな感じがする」というのが、唯一外見上は美形であっても今一行動が、とか振る舞いがという行いを指摘して、その人の持っている人体上の構造まで否定はしていない。だから、美形であるかも知れないという含みを残している。
昭和11年に阿部定が、男性を殺害した。そして遺体に「定命」と疵を入れて、男性のシンボルを切り取った。これが近年最後の「深情けを持つ悪女」として確認された。以来「脊柱動物門・哺乳類・霊長目・人科・人属・人・女性・悪女の深情け係」は絶滅危惧種に認定された。ところが近年になって、電車の中で平気で化粧をしたり、ウンコ座りをしたりするバカ女が、21世紀の現在、増殖しつつあることが確認された。醜い女の初期状態であることは、紛れも
ない事実となった。
昭和の始めよりは、容姿はずいぶん西洋化され、面容もノッペリから、凸凹が端整になってきた。ところが内面はどうかというと、ずいぶんどころか、ベタ落ち状態の体たらくとなってきた。体だけが大人で、内面がガキというのがウジャウジャと沸き出てきた。
悪女が生殖行動をとれば、生みっぱなし、途中まで育てたが嫌気が差し育児を放棄したり、途中から割込んできた男と同棲して、我が子を折檻したりして死滅させる。母性本能はもう消滅したようある。こんな状態の時に、「赤ちゃんポスト」なんて作ったら、「猫にカツブシ」になれせんかしら。
悲しいかな、賢い女達がいま、一人で生息することを望んでいる。望んでいなくてもそれを覆い隠すように、一人の寂しさを、独り者同士を庇いあう互譲の精神が芽生え、集団で皆がいれば怖くない方式で、集団営巣している。まだ21世紀に入ったばかりである。
なんとかせねばいかんと、人畜無蓋になったこの老人が、ひとり焦りを覚える。
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