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2007年8月 4日 (土)

ランナーで走路員に文句を付けるヤツは参加資格は無い

夜叉ケ池伝説マラニックが行われた。みんなうれしそうに走って行く姿を、ねたましく見送った。

ウルトラマラソンの新人Y君が坂内から林道に入るところの指示の不安を訴えたので、ランナーは地図を持って走るのが原則ということを話してやった。これで文句を言ったら、次回からの参加は拒否をされただろう。ウルトラマラソンのマナーを知らないランナーが、増えてきたのかもしれない。

ずいぶん以前だが、坂内村から右に夜叉ケ池林道に入る所を間違Photo えて、左にトップ集団20人ほどが木之本のほうへ約10km走って気が付いて戻ってきた。ところがだれ一人として文句を言わなかった。その集団に山の中でドンドン抜かれるから不思議に思って聞いてみたら、「アハッ、バカみたい。道を間違えてさ、みんなが行くからオレも行くとばかりに、集団でよそに行ってしまった」という。それでも恐ろしく速いスピードですっ飛んで行った。

さくら道270kmウルトラマラソンの主催者が、道を間違えたランナーに、たくさん走られてよかったですね、といって笑っていた。彼はアメリカ横断マラソン4700kmを2年連続で完走しているウルトラマラソンの鏡のようなランナーだから、だれも文句をいえなかったし、いわなかった。270kmも走るランナーが、たかだか20km余分に走ったところで、全体の一割にも満たないと笑っていた。

ウルトラマラソンでは参加者は地図を持って走ることが原則だ。特にマラニック(マラソン+ピクニックの合成語)は、この距離を走るに必要なものは自分で持って走る事が多い。

この大会の1993年7月17日、第一回の時は、夜8時、日吉神社をスタートした。この日は雨でね、それもなまはんかな雨ではなかった。途中で懐中電灯の乾電池を切らしてね、そんな状態でトンネルPhoto_2 に入ったら、自分の手足が見えなくなってしまった。町ならどこかに明りがあるのに、ここにはどこからも光が来なかった。トンネルを手探りではい出した。用意周到な準備とは程遠い初参加であった。あまりにも気の毒になったのか、バイクが懐中電灯の代わりをしてくれた。うれしかったね。温かい気持ちになったのをふと思い出した。

走路員はもともと自分も走りたいランナーが、同じランナーを助けるためにやっていることを、参加者は忘れている。いびがわマラソンでも13000人も走る名古屋シティーマラソンでも、重要なところはランナーが手助けをしている。

いま私が提唱しているのは、「地元のランナーは地元の大会を助けましょう。その分、ほかの大会で楽しめばいい」といっている。どの大会も懐具合は苦しいですよ。ランナーだからこそ出せる知恵があるからです。それが大会に生かせるからだ。

こんな事情を考えると、初心者のウルトラランナーでも、参加料を払っているからと、権利を主張することはとてもいえなくなるだろう。この大会に来るまでに多くの経験を積んだランナーが、参加者として走路員として楽しんでいる大会だということを、忘れないで欲しい。

ランナーも楽しんでいるし、走路員もそれなりに楽しんでいてなにが悪いと、私は思うぞ。

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