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2007年9月21日 (金)

25年前に走り始めた道を、今歩ける

1983年11月、あのころ私は78kgもあり、不健康の極みであった。血圧が高く医者の勧めで、毎日出来る運動をということでジョギングを始めていた。

日記を見ると11月2日、ジョギングを開始している。わが町内と隣の町内の外周でも1200mしかない。もう一つ北の町内も入れても1700mを、朝6時半ごろヒーヒーとのどを鳴らして走っていた。

2007年8月に脊柱管狭窄症の手術をした。リハビリのウオーキンPhoto_2 グを一カ月間は、朝のラジオ体操の後に、土のあるグランドを500m歩いていた。

夕方涼しくなると、散歩に出かける。このコースが、走り始めたあのコースである。町内一周700mから1700mが散歩コースとなった。時々だが、大江川の緑道を歩く。桜で日陰になっていて、水があるから気分がいいのと、イスやトイレ、水道もところどころにあるから、ありがたい。今までこれらに感謝なんてしていなかった。それほどスピードが違っていたからだ。

町内の神社の中では、近所の酒屋のおばあちゃんが草を取っている。精が出ますねというと、「最近足腰が弱くてね、この草を取るようになったら、足腰が動くようになってなァ。神様のおかげですわァ」と笑った。

神社を出ると、遠くから同じ町内の倉知君が「おっ!歩いてる。もうPhoto_3 大丈夫か」と声を掛けてくる。少しずつ足を伸ばしているところだと話す。コース上にマラソンクラブの山田君や浅井君の店にも顔を出す。

「大丈夫か」と、みんな気を使ってくれる。

真清田神社に退院の報告をする。入院するときには、あいさつをしなかった。だから神様も話を聞くだけで済むから気が楽だろう。入院する時に、無事を頼まれれば、それなりに気をつかわなくてはならんからだ。などと勝手な報告を、さい銭なしでしてきた。だから神様も聞き流すだろう。

文具屋のおばあちゃんが、「あれ?歩けるようになったかね」と声を掛けてくれる。こうしてダレカレなしにあいさつできるうれしさを感じる。

こんな1kmや2kmぐらいの歩きで、筋肉痛が出てくるからうれしい。それほど歩けなかったんだ。今その筋肉痛に喜びも感じる。だが困ったことに柔軟体操ができない。筋肉痛を緩和したいが、それがなかなかできないから、今工夫しているところだ。できるところからまず正座である。これをすると足首と太ももの全面が伸ばされる。そしてウンコ座りである。これは正座と反対の筋肉が伸ばされる。

そうだ、温泉があるではないか。そこには電気風呂があるじゃないPhoto か。でも気になることがある。私の首にはチタンの板とボルトが装着されている。これで感電してしまわないだろうか。もしビリビリときたら、シビレてケイレンして、体が浮き上がる。もしこのまま沈んでしまったら、・・・・アーメン。

翌日の新聞で「電気風呂で感電、間一髪で救出」というニュースが流れると、私はもうここには住めない。電気風呂は止めよう。「ポカリの湯」というスーパー銭湯が安いという。今の風呂屋は400円もするが、ポカリの湯は4時?までだと350円。だから結構混んでいるらしい。

いや、もう一つ手がある。高齢者優遇制度でもらった入浴券が18枚もあるではないか。ここにも電気風呂がある。でも電気は避けよう。ビリビリはいけないから。

手術一カ月後に、自転車で43km走り、途中からウオーキングに切り替えた。自転車を引いて5kmを歩いてきた。腰はコルセットでガチガチに固めてあるから、腰への違和感はない。

翌日痛みを観察するように、腰周りをチェックする。意外や何の変化もない。この日は少し全体の距離を減らして休養に当てた。

今から24年前の1984年の11月、一年後の日記には、やっと3~5kmをやっと走られるようになり、体重は65kgの落ちていた。

2008年の8月、手術した一年後は、どんな走りができているだろう。

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