名古屋シティマラソンはやっぱりずぶ濡れだった
今年は頚椎と脊椎の手術直後ということで、行くことを随分迷った。昨年と同じ10kmコースの5km地点の給水である。ここはスタートしてまもない地点だから、20分ぐらいの内に6000人が走り過ぎる。始めの内はランナーに水を手渡しできるが、5分もするとそんな場合じゃなくなる。
ここのメンバーは、フル百回楽走会や犬山走友会や一宮走友会連合と
いう猛者ばかりで、各人がそれぞれイベントを起すようなリーダーばかりだ。何もいわなくても各自が勝手に動いていて各部署で工夫を凝らして、それでいてまとまりがある。頼りになる面白いメンバーだ。
名古屋市教育委員会がここの給水を決めた3年前、ここの担当をだれにするかと悩んだ。すかさずお節介焼の私の名前が挙がったという。以来ここはこのメンバー以外ではこなせないという神話ができた。言っとくけど、ここのランナーたちは、全くの無給で奉仕している仲間だ。ランナーよ、感謝せないかんぞ。ランニングの酸いも甘いも知り尽くしたランナーの先輩が、初心者のあんたたちを楽しませるために頑張っていることを忘れてはいかん。ランナーは地元の大会を応援して、よその大会で楽しもう。どこの大会も懐具合は火の車だ。そんな中、私たちは走らせてもらっているということを、忘れてはいかん。
5分もすると、もう前を見ていられなくなる。私はただひたすらにコップに水を注ぐ水道の蛇口なった。ここの流れをよくするには、なまじゴミ箱を設けると、ゴミ箱の方へランナーが蛇行する。こうなると後ろのランナーとぶつかる危険がでてくる。いいかい、3車線道いっぱいに走って来るランナーが、ここで給水場へ移動する。
血管でもこんなに急にストレスを感じれば、切れると思うよ。それも一番テーブルに集中するのである。今年はハンドマイクを二個持ち込んで、ランナーを誘導する作戦に出た。これがよかったのか、均等に給水ができたように思う。周りを見ている暇がないから、勝手な判断だがうまくいったと思っている。
昨年は掃除をして帰るころになって、自分の足がしびれていて、着地感が全くなくなり、目で着地を確認して歩いて帰った。脊柱管狭窄症が最悪になったのを感じた。今年はタダ腰が少し痛かったが、シビレはなかった。しっかりと手術の成功を実感した。
皆の汗をかいている姿を見ていて、自分が走られない不満が募る。だから、仲間の車に積んできた折り畳み自転車で、名古屋市の御器所から一宮まで35km走ってきた。走りかけて気が付いた、昼ごろからドンドン風が強くなってきた。ワシの家はここから35km北になる。山を登ると同じように、ジグザグに町中をすすんだ。大きな道を避けて、むかし私が地図を片手に旧街道を随分捜しながらジョギングした。その旧街道の飯田街道、美濃路街道、稲沢から岐阜街道、途中から鎌倉街道を走ってきた。道はほとんどそらんじている。
おかげでいいトレーニングになった。
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