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2007年11月30日 (金)

年末のどんどこの木っ端が欲しい

今年は私が「年行司」という、神社関係の大役が回ってきた。年末になると31日から夜通し火をたく習慣がある。この時に使う材木(木っ端)が手に入らない。家を解体した廃材では、神社には使えない。

参ったなァ、昨年まで頼んでいた製材所が廃業してしまい、製材の時に切り出される2~3mほどの木っ端が手の入らなくなってしまった。その量も直径1.5mの束を二束は必要だ。

それを知人の建築士に頼んでいたら、弟が製材所をやっているからもらってやるというから、安心しきったいた。少し早いが8月ごろに頼んでおいた。ナカナカ安心できる返事が来ない。もうすぐ年末になる。そこで最後通ちょうを手渡したら、なんと、弟は年間契約して売り渡しているという。今頃になって無いと言われても困る。

年度末になると、どこの神社でもどんどこ(どんど焼)を夜通しやる。この材木の取り合いである。だから早めに頼んでいたのに。それと最近こういう材木は、チップにして再利用されているという。

私には製材所の当てがない。この町内も戦争中はしなかったらしいが、いつから続いているか分からないほど古い行事を、私の代でつぶすことになる。なんという恥さらしなことになってしまったことか。

少し歴史をたどってみると、第十代の崇神(すじん)天皇の王女豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)は大和笠縫(かさぬい)の邑(むら)より、神器を奉じて当所(浜神明社)の御駐輦(ごちゅうれん=くるまをとめる)になりたる跡と言い伝えれている。(神社の石碑より)

もう一つ垂仁天皇の皇女倭姫(やまとひめ)という説もある。(一宮市史より)

この時、姫が火を焚き暖をとられたという。その名残が今の「どんどこ」という。この崇神天皇は紀元前97年の人だ。そんなころから火を焚いていたとは思えないが、いつかの時代の誰かが、この行事の火をつけた。

ここが真清田神社から東の人たちの初詣に行く途中の中継地点になるから、随分の人がここを訪れる。

昔、車屋の営業をしていたころお付き合いしていた大工さんに聞いてみることにするか。でも大工さんぐらいではいくらも集められないが、ちりも積もれば山となる。変な仕事を作ってしまった。Photo_2

町内の何人かに相談したら、一人が最近材木店で見かけたと言うから、3人で出掛けた。あった!さっそく相談するとOKがもらえた。ホッとしたわ。伝統の火が消えなくて。

伝統の灯は消すことはたやすいが、ふたたび起す労力は大変なものだから、大事にしたいねェ。

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