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2008年1月27日 (日)

闇夜の経験

手足が見えないほど経験って、街中では人工的に作らないと経験はできないと思う。たとえば、地下の駐車場の停電とか、夜中部屋の電気を切る。コタツの中、夜中にバケツをかぶる。どうみても正常ではなさそうだ。

ウルトラマラソンの世界

 あたりには何も見えない。時々水滴が落ちる音が響く。ヒタヒタヒタと走る音がみみざわりに聞こえる。

 突然爪先にあたる物がある。今度は肩にだ。立ち止まって、恐る恐る手でそれに触ってみた。どうもコンクリートの様な感触だ。手に持った懐中電灯のスイッチを入れる。

「なーんだ、やっぱりトンネルの壁か」(ホッ)

 トンネルの中は右へ大きくカーブを切っている。そうか、トンネルは右へカーブして道はカマボコ型になっているから、自然と左に寄ってしまったんだな。独り納得して乾電池の節約のためスイッチを切った。

 またあたりは漆黒の闇となって、自分の手足の確認すらできなくなった。こうなってしまったのも自業自得だ。今日家を出る時に、予備の乾電池を持たずに出てきてしまったのだった。

 1993年7月午後8時、雨の降りしきるなか「第一回夜叉が池伝説マラニック」90kmと130kmがスタートした。しばらくすると、たった独りぼっちになってしまった。その寂しさから、スターウォーズの光る剣のように、いい年こいたおじさんが懐中電灯を振り回して遊んでいるうちに光度が下がり、慌てて消したがすでに遅く、危篤状態となってしまった。

 この日は大変な雨で、川は轟音を上げて流れ、山からは至る所が滝となり、バシPhoto ャバシヤと激しい音を立てて足元に流れ落ちてきた。漆黒の闇となったので、辛うじて見える道の白線をたどりながら、それもなぞるように走った。センターラインがあるうちはまだいい、それがなくなり、路肩の白線をたよると、外側に行きすぎると片や山、もう一方は谷底と、どちらにしても大変具合はよくない。

 耳をダンボに、目はフクロウのようにして、足は大地を探るようにして、摺り足で走った。これが町の中ならここかしこに何等かの光があるもので、まず手も足も見えるし道も先の方まで確認できるが、この山の中だと、月明かりか、星明かり以外は何も無いことを初めて知った。

 ウルトラマラソンやマラニック(マラソンとピクニックの合成語)になると、100キロ、150キロ、200キロというのがある。それよりまだ長い2昼夜3昼夜を越える大会をそれこそ昼夜ぶっ通し走るから、町はおろか村ン中山ン中もあり、雨、風、時には雪もある。そんな中を食べ物や着替えを背負って走るんですよ。

 全てがあるがまま、なすがまま自然を相手に走るんだから、普通のマラソン大会のように至れり尽せりの大会とは訳が違うんですわ。翌日、この雨で登山コースは変更となり、登山口で折り返した。76km通算タイム9時間33分ゴールした。マラニックをなめてはいかんと思った。

 この道の花鳥風月共としてただひたすらにゴールを目指して  泉峰

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コメント

久しぶりです。お元気そうでなによりです。
暗闇のブログを見せてもらい自分の経験を一言。
 数年前東京の日本山岳耐久レース(ハセツネ)に参加したときのことです。あとゴールまで10Kmほど。時間は午前3時ごろでした。ヘッドランプの電池が切れ全くの暗闇になってしまったのです。
 運悪く予備に持っていたマグライトも転倒した時に壊れてしまっていました。足探りででも進めばと思ったのですが1mも行かないうちにコースから転げ落ちそうになり途方にくれました。自分の手も足も見えないのです。
 通りかかった若い人が予備の電池を恵んでくれ何とか窮地をしのぎましたがこの教訓から次は予備電池をしっかり持つようになりました。(他人からの助力で失格だったかも)

投稿: 大内 | 2008年1月29日 (火) 22時59分

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