もうすぐはだか祭りか、出たいなァ
2008年2月19日は、はだか祭りである。今ごろなら、私のやっていた「はだか祭り早駆け」の準備は終盤に入り、みんなのフンドシや足袋、竹を切る準備に入っている。そして切り出した竹を、出発式をする車屋に持ち込んで、飾り付けをする。
このごろ、こんなことをもう9年やっていたから、アンタに聞けば分かるだろうと、「儺追布(なおいぎれ)」の書き方を聞きにくる。さっそくメールで知らせた。
儺追布は、ハチマキのちょうど半分がその長さ。正式には一カ月一寸、一年一尺二寸とし、うるう年は一尺三寸とします。その布に、縦長に置き、真ん中の上部に横書きで「奉納」と書き、その下へ縦書きに「尾張大国霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ)」。右側に願い事を「家内安全、商売繁盛、子孫繁栄、安産、合格祈願、一発金運など」と、心を込めて書きます。左側には、縦書きに「えと」「氏名」「性別」「数え年」を書きます。
大勢の人が一度に願い事をするから、神さんもだれがなにを願ったか分らんでは困るから、キチンと書かないと願い事は叶わんぞ。
これを祭り当日に裸男の出る神社に持って行き、竹に結びつける。これを裸男が担いで、各神社を回ってだんだんと国府宮神社に近づく。そして各神社で集まってきた竹を縛り付けていくから、竹の束がだんだんと太くなる。裸男も増えてくる。
国府宮神社に着くころには、最大1万人近くの裸男に膨れ上がる。ここに
神男が出ると、厄を落とそうと、数千人の裸男が神男に触りに行くから、壮絶なもみ合いが始まる。
その昔、この神男は、その年の恵方を歩いていた旅人を、刀や長刀で神官が捕まえてきて、無理やり神男に仕立てていた。そして祭りが終わると、ポイと放り出す。これはいかがなんでもえげつない、ということで、藩からこの方法を禁止されたと聞いた。江戸時代の「尾張名所図会」に、神官が旅人を追い回す模様が描かれている。
もみあっている裸男に水がかけられる。この水にも掛け方があるという。集団を早く神殿に移動させないと、神男がつぶされてしまうから、水を、進みたい方向の、裸男の腰に掛けるんだそうだ。掛けられた裸男は、「ヒャ~ッ」と冷たさに腰が引ける。この瞬間に集団が、力の抜けた方へジワジワと動くんだそうだ。この桶を持つ集団を「桶隊」というが、神男の道を作る祭りの重要な役割をしている。こんな見方をして祭りを見ると一味違って見えると思う。
ワシも出たいけれど、頚椎と脊椎の手術した後では、とても出られない。そこで友人が出ているところへ、「はだか祭り早駆け」の仲間を一時、預かってもらっているから、そこへ祭り前後の宴会だけ参加してこようと思う。要するに祭りのリハビリじゃ。
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