蕃塀?透垣のことよ。ナヌ、余計に分からんって
まず右の絵をご覧下さい。これは真清田神社の絵図である。ちょうど真ん中に矢印がうってある先の、板塀である。これは尾張名所図会に書いてあるが、戦災で焼けて、現在ははない。
『尾張名所図会』とは、著者は西枇杷島の青物問屋主人で教養人の野口道直(梅居)、尾張藩士で学者の岡田啓(文園)、挿絵は尾張藩士で画家の小田切春江によるものです。
天保9年(1838)8月に編集が計画され、その後、現地を直接調査するなどして草稿が出来上がったのが天保12年(1841)11月のことです。天保15年(1844)2月にようやく前篇(全7巻)が、名古屋の菱屋久兵衛・菱屋久八郎から上梓され、名古屋をはじめ京都・大坂・江戸の書肆(本屋)からも出されました。(下記の蕃塀ブログから拝借)
この板塀が「蕃塀(ばんべい)」「透垣」である。実は、私が突然氏子総代にされてしまいましてねェ。いままでの総代が、体調不良で突然辞任。私が神社関係の「大年行司」という一年だけの当番役員をしていた都合で、氏子総会を開いた。
そこからどんどん深みにはまり込み、とうとう総代になってしまった。総代になるなら、神のご加護があってしかるべきなのに、まるで交通事故である。こんな宗教心がない私に、とんでもない役柄が回ってきた。
受けた以上は男でござる。そこで境内の建築物に火災保険や施設管理賠償責任保険をかける都合上、どうしてもこの物体の正体を知りたくて、色々インターネットの検索を繰り返していた。
今までこれを「不浄除(よけ)」「透かし」「通し」とか聞いて
いた。でも物体の名前も知らない代物にどうやって保
険をかけるのか。せめて名前ぐらいは知っておきたい。
左が現物で、右の絵がわが浜神明社の絵図である。鳥居の後ろが「蕃塀」である。この番塀があるのは、おそらくこの尾張地方だけという。一地方の流行で出来上がったのかも知れない。
探し続けていたら、なんとこんなブログに出っくわした。そのままずばり、「蕃塀マニア」というブログ名である。
http://banbeimani.exblog.jp/6690429/
この「蕃塀さん」には、色々教えられた。感謝でござる。
さて保険金額はいくらなんだろう。こういう仕度とは宮大工になるんだろうか。そうなると金はかかるだろうと想像される。気になる。
私は借地に住んでいるが、神社は地主で、毎年140万円ぐらい入る。私は突然地主になってしまった。何か親からとんでもない相続を受けた子供のような気分になった、仕方なく、アハハと力なく笑う。
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コメント
我がブログを取り上げていただき感謝します。
全くの推測ですが、尾張における「蕃塀」という名称は、近代以降に本殿周囲を巡る透垣などと区別するための名称として、伊勢神宮にある本来の蕃塀からその言葉が流用されたものと考えています。だから、地元では一般に「不浄除」「透かし」「通し」などと呼ばれ、蕃塀の名前を出すと「へえ、本当はそう言うんだあ」と反応されるのでしょう。はからずも、我がブログは「蕃塀」という言葉を広める結果となっています。調べた結果この推測に至ったのでやむを得ないとはいえ、ブログタイトルが適切ではなかったかもしれないと、今は感じています。
投稿: 蕃塀マニア | 2008年2月 8日 (金) 19時49分
少し前ですが、一宮市浜神明社の蕃塀を紹介させていただきました。そこでは一部の記述を引用させていただきましたので、遅ればせながらご報告します。ありがとうございました。
http://banbeimani.exblog.jp/8141504/
投稿: 蕃塀マニア | 2008年6月22日 (日) 16時44分