ビロードのような苔と椿
妙興寺の境内の庭は、とても手入れされていて、木の下にはビロー
ドのように苔むしている。それが光を受けると大海原の凪ぎの海を見るようである。そこに椿を、誰かが仏に供えたかのように、輝いて見えた。
ビロードとは「天鶯絨」と書く。「織物の一つ。綿、絹、毛などで織り、こまかい毛をたて、なめらかでつやのある織り方」と説明している。ポルトガル語で「veludo」とある。
まさに鶯色で、美しい。その上の椿も美しい。鶯も本当はこんな色ではない。スズメのような色で、とても美しいとはいえない。梅に寄るメジロ、そのそばの雑木林の茂み中でウグイスが鳴く。だからメジロを鶯と見間違えたのだ。本当はメジロ色にせにゃイカンのに。そうなると、ビロードは「天目白絨」としなければ、つじつまがあわない。
椿を見て、武士はその首が落ちる様子に似ているというのを理由で、ツバキを嫌った、という話もある。それは明治時代以降の流言であり、実際には江戸時代には大々的に品種改良が進められていた、というのが真相である。そうだったのか、私は首が落ちるという方を信じていた。
椿(チュン・チン)の意味は、辞書を引くと、
- 椿という字の意味は、せんだん科の落葉高木。材はかたく器具を作るの用いる。
- 太古に会ったという大木の名
- 長寿のたとえ
- 父をいう
日本語としてのみ使う場合、
- ちん 変わったこと、不意のできごと
としている。椿の項目の中にある、椿事(=珍事)はもともとは、木偏に舂「樁」であった。元来は「樁事」とするべきところ、漢字をいつのころか、面倒だから簡単な方に統一された気がする。事実、電子辞書では、常用漢字表外の字としている。だから「×椿事・珍事」として、珍事を使うように指導されている。
漢和辞典では、「日本語として使用する場合」と断りを入れて、椿事=珍事を思わせる意味を持たせている。「樁」の意味は出来事を数える言葉・単位詞であった。これなら分かるが、でもいつごろから省略されてしまったんだろう。それが下記のものだ。樁の字を「椿事」としてしまったのは。
戦後の漢字施策については,当用漢字表(昭和21年11月),当用漢字別表(昭和23年2月),当用漢字音訓表(昭和23年2月),当用漢字字体表(昭和24年4月)常用漢字表(昭和56年10月)などで,国語審議会の答申に基づき,内閣告示・内閣訓令によって実施されてきた。これらのうち,字体に関わるものとしては当用漢字字体表と常用漢字表がある。
当用漢字字体表では、その「まえがき」に「漢字の読み書きを平易にし正確にする」ために「異体の統合、略体の採用、点画の整理などをはかるとともに、筆写の習慣、学習の難易をも考慮した云々とある。やっぱし、要するに書きやすい方を採用したということだ。
あまりやりすぎると、今の中国語のように、漢字本来の持つ意味が不明になるまで、簡略してしまった。お隣の韓国でも、ハングル文字の多用によって、漢字を知らない世代が増えたという。人の名前が読めない人が出てきた。日本のように、漢字があり、ひらがなカタカナが、併用して使われているから、とても便利だ。難しければひらがなで逃げればいいから、できるだけ残して欲しいものだ。
わが家にある国語辞典で古いので、昭和53年のがある。これには珍事が主体で、「椿事とも書く」としているから、それ以前の国語審議会で決まったようだ。
椿のことで、「椿寿=ながいき、長寿」という言葉がある。「荘子 内
篇・逍遥遊」中の以下の言葉です。
「上古大椿なるもの有り、八千歳を以て春と為し、八千歳を以て秋と為す」
上古の伝説上の植物、大椿(だいちゅん)という植物は、八千歳を春とし、八千歳を秋とするという木。男子の長寿を祝うめでたい言葉である。
椿からここまできたのは、春の珍事であった。
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