体育功労賞を拝領した
私の住んでいるお隣の稲沢市から、20年間、陸上競技に携わってきた。「あなたは20年にわたりスポーツの振興につくされたよって、その功績は誠に顕著でありますがねェ。よってここにだよ、しょうがないので、記念品を贈呈し表彰しますがねッ」
いま常任理事という足かせを掛けられて、がんじがらめにされてこき使われている。
なぜこんな羽目になったかというと、20年前に、突然理事会への出席案内が来るようになった。「ヘッ?何でワシが理事会に?」一度として声も掛けられなかったし、それらしい協力もしていなかったからだ。何度もしつこく誘いのハガキが来るから、一度顔を出したが運のつきであった。
マラソンの友だちが稲沢には多いから、その中の誰かが、私を推薦したんだろうが、誰が私を押し出したかは不明のままだ。
ここは市の財政上日当が出ない。みんな手弁当でやっている。しかも、各競技は午前中に済ませるようにという、市との暗黙の了解事項があった。なぜかというと、午後になると弁当を出さなければいけないからだ。これだけの事情。それほど財政上、午後の競技は都合が悪いのだ。
この手弁当が気に入ったので、手伝うことになってもう20年である。
今は名古屋シティーマラソンマラソンでも、もう15年お手伝いをして、重宝がられている。ここも財政は豊かではないから、経費節減のために、受付付近での走路員は無料を提唱した。いま300人がこれを承知で働いている。Tシャツのデザインを公募方法に切り替えたなど、結構役に立った鈍足ランナーである。
今日「いちのみやタワーパークマラソン」の実行委員会がある。今年から市民ランナーで初めて、実行委員会入りにされ、とうとうここも逃げ出せない状態となった。
足は遅いが、口数が多いからなァ。仕方がないわァ、直ぐに口を出すから自業自得だわさァ。
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