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2008年6月16日 (月)

五箇山の与茂四郎と五箇山の墓

6月13日、富山県南砥市の五箇山へ家族旅行をしてきた。合掌造りで、素朴な民泊をしてきた。

友人Yの母親の在所が「勇助」という民宿をこの集落で最初に開業した。その従兄弟が「与茂四郎」という民宿もしているというから、ぜひ世界遺産の中に泊ってみたくなった。世界遺産だぞ~っ。

「勇助」に最初頼んだが、ご不幸があって、喪中は休業されるという2 ので、急きょ従兄弟の「与茂四郎」へ変更してくださった。

相倉は行き止まりで、車は入り口で止められてしまう。江戸時代には、赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の5つの谷からなるので「五箇谷間」となり、これが転じて「五箇山」の地名となった。五箇山は、前田加賀藩の秘密の場所であり、地図には載っていない場所であった。

加賀藩は密かにここで火薬を作っていたところで、流刑の地ともいわれる僻地である。山に囲まれたこじんまりとした集落で、いまここには20棟あまりの合掌造りが現存する。今から約100年~200年のものが多く、古いものは400年前に建造されたといわれる。

家の大黒柱は、わが家の6倍ぐらいあった。黒光りした大黒柱に圧倒された。

散歩の途中、集落の墓に出合ったので、好奇心からのぞいてみると、普通は「山田家の墓」「伊藤家累代の墓」と書かれているが、ここのは通称名で書いてある。例えば「(仮)三五郎家の墓」「(仮)左平治家の墓」と書いて、脇には「(仮)伊藤権兵」とか、「(仮)加藤次郎左衛門」と実名が書いてある。

これを与茂四郎の奥さん(この人がナカナカ愛嬌があって、なつきのいい奥さんである)に聞くと、ほとんど通称名で日常済ませているから、子供が向かいの人の苗字を知らないと笑った。「与茂四郎んちの興ちゃんがねェ、先生に叱られて廊下に立たされた」という会話で通じる。そうすると「勇助んちの志賀ちゃんがよう、今日学校でちびったぞ」ということになる。

ついでに言うが、この奥さんは、九州出身で、ここに泊ったのが、縁という。なつきのいい人である。しっかりこの地に根付いている。

京都の知人の家は、京都唯一の村、南山城村である。三重県と京都の境の山の中。いまだに仏さんは土葬をしていた。(平成13年に、私が葬儀に参列したから事実である)

でも五箇山は火葬をするといった。焼き場のことをサンマエと言っていた。「サンマエ」か、実は尾張地方でも「サンマエ」と言っていた。でも辞書には何一つ「サンマエ」は出てこない。気になる。

この会話は、朝食のときにである。同宿の新潟から来たご婦人は顔をしかめていた。でも、家内も新潟出身で、通称屋号で呼び合う風習は同じと、意気投合していた。

この話を帰ってきてから、この宿を紹介したY君に言うと、墓は一度も行ったことがなかったという。怖かったらしい。そう言えば、「地主神社」の裏山を歩いたと言うと、そこはマムシが多いから、怖いので一度も行ったことがないという。なんと、在所に行くが何も知らないらしいので、少しおかしかった。他所もんの方が好奇心があるから、調べるだけ、こちらに分がある。

マムシなんか踏んづけなきゃ、喰いつかれないのに。という私も、山を走るようになってから慣れてきただけだが。墓をのぞくという体験は、好奇心Photoからだった。

もう一つ、合掌造りは皆さんが思っているのは上の写真でしょう。私 も初めて知りましたが、原始合掌造りは、まるで竪穴式住居と同じで、後になって一階を付け、2階を付けて持ち上げて行ったという。それが右の写真です。

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