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2008年6月22日 (日)

雨の歩けば♪

Just Walkin' In The Rain http://www.fukuchan.ac/music/popular/walkinintherain.html

雨に歩けば♪などと歌いつつ、傘をさした。真清田神社に来ると、カ004_2 ラスが山門で雨宿りしている。近づくとスキップして逃げる。飛び上がるんではない。スキップである。私の顔を見ながら、横っ飛びスキップである。

よく見ると、羽がグッショリと濡れている。濡れていて飛び上がれないのと分かると、面白くてね、追い回していた。何とかカメラに収めようとするがいち早く逃げられる。ハトは濡れていない。撥水効果があるが、普段の生活態度が悪いから、十分な供えがないんだろう。バカめ!

本町のアーケードはこれから店を開けるところが多く、アッチコッチで006 シャッターの上がる音が聞こえる。電気屋の前を通ると、なんとニクロム線の電気コンロが売られていた。思わず写真を撮った。女将さんが出てきて、これが結構売れているという。ガスと電気とどちらが安いんだろう。テーブルでの煮炊きには便利という。

アーケードを潜り抜けると、傘を差そうか閉じようか迷うような雨が降っている。しばらく傘を閉じて歩いたら、ジワッと体が濡れてくる。厄介な雨だ。

雨に歩けば♪などと歌おうと思うが、後が続かないので、ルルルルでつないだ。下は半ズボン、上着は半そでにマラソン大会でもらったウインドブレーカーの袖もちぎったもの。ジョギングシューズでは濡れが早いから、ウォーキングシューズを履いてきた。これなら多少の水溜りでも気にならない。

ぴちぴちじゃぶじゃぶランランラン♪を頭に中で歌った。

傘は安物のビニールの傘。風が強ければ骨だけになる代物だ。

市内を突き切って妙興寺に入る。実は昨日、中日新聞に妙興寺仏殿開放のニュースが出た。このことは私のブログでも紹介したが、ここの仏殿の中の天井画は、油絵では日本一大きい。これと中日ドラゴンズをかけて、ドラゴンズファンが、「日本一」の祈願に参拝に来たらどうかと書いた。

もう一つ、中日新聞社一宮総局にも同じ「仏殿開放」を知らせた。それを仏殿管理人に話したおいた。私のせいかどうかは知らないが、先日立ち寄ったら、仏殿の管理人が、今日新聞社が来たと喜んで話しかけてきた。

翌日尾張版に大きく報道された。

雨の中を境内に入ると、もう参拝者らしい人に出会った。もしや効果が出てきたか。そうすると管理人が私を見つけて、「驚いた。新聞が出たとたんに、70人来てくださった」と喜んでいた。

せっかく解放しても参拝者が少ないと、張り合いがないからなァ。今日この雨の中、1時間半でもう10人を越えているという。さすが中日新聞。

仏殿の中では、手を合わせる人が見える。できれば、案内板を立てて、目で案内することも必要かも。天井画の竜が、まさに目を入れる「画竜点睛」のその瞬間に、ウオ~ッと唸った話。油絵では日本一だというようなこと。

河野宗寛さんの歌碑の説明など、参拝者も案内書にない面白い話を知りたいと思う。(妙興寺、寺外報道員・独りしゃべりより)

ワシを雇うかい。でもだめだぞ、ジッとしていないから。2日に一度は来ているから、その時偶然に出会った人には説明してあげるがね。その人は運がいい。

今日は自転車でも車でもないから、コンビニでビールを手に入れる。店の前のイスに座り込み、ふとコンビニとは何の略か。コンビニエンスのことだということを思い出した。実は先日これを調べていて、「便利さ、重宝さ、都合、好都合、便宜、便益、安楽など」が出てくる。だがしかし、「公衆便所」が出てきたのには驚いた。

なるほど、店の看板には「トイレ」のマークを出しているところもある。私はね、ずいぶん近くなったから、出ても出なくても一応使わせてもらう。犬の匂い付けか?

歩くようになったら、トイレまでの時間が掛かるからだ。コンビニさんありがとうと、感謝している。あとガソリンスタンドも捨てがたい存在だ。

途中オープンしたばかりのラーメン屋に入り、ビールギョウザセットとラーメンを頼んだ。小雨だが結構濡れてしまった。

雨に歩いて、8,5km2時間であった。

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