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2008年7月 6日 (日)

蛭ケ野の開拓者からの手紙

先日蛭ケ野を開拓した福手さん(93歳)にお会いした。7年間思い続けて、やっと会えたというのが本音である。

平成13年4月、この蛭ケ野で、「さくら道270kmウルトラマラソン」のエイドステーション「てぬきうどん」をやっていたときだ。ご近所に住んで見える福手さん当時85歳のご老人から、自叙伝『ひるがの』を頂いた。

昭和17年、私の生まれた年に蛭ケ野へ移り住んだ。この当時、郵便交換所に中屋さん一人住まっておられた。この荒涼とした原野を、今のリゾート地、スキー場、別荘地に開拓されたその苦労が書き込まれている。

感激した私は、自書のエッセイ集『鈍足ランナーの独りしゃべり』を贈93 った。以来この人に会いたいと思い続けていた。この6月に家族旅行の途中にやっと念願であった面会を果たした。記念写真と手紙をつけて送ったら、礼状が届いた。これが下記である。

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縦書きの旧人類の駄筆、お笑い召されぬよう。

さて過日は2100年代の超人類を予想させるようなお手紙をありがとうございました。それに、おにの百万まで怯えて。

(?この方の文字は旧の漢字を草書体で書かれてあるので、判別するのに3日掛かった。しかも  おにの百万まで怯えてという言葉があるのか?幸い草書体の文字は、古文を少し読んでいるためか、何とか一部をのぞいて解読できた)

普通、前年に手術したら半年や一年は特別保護が常道なのに、マウンテンバイクで一日30km、歩き7~15km。こんなお方にお訪ね頂き、光栄の極みでした。御光来と貴翰(=貴簡)に深く謝意を申し上げます。

さくらの佐藤良二氏のこと。公私の親交があり、裏話もいろいろございますが・・・・・。

さて、拙書『ひるがの』を御一覧下さって恐縮に存じております。ゼロ地帯からようやくらしい集落形態に移ったことは否めません。

この公にした拙書とは別に、日記は70余年つづけて居り、別に子孫のみに遺して伝える自分史も、7~8冊は認めております。

貴君の日常の一端を相承しましたので、私も日々の一部を申し上げます。

とにかく、貧と無の境地から終生抜け出ることができませんでした。でも開拓の道に飛び込んだのも、元々は無の世界に魅せられたからで、今更愚痴は申すことはできません。

生涯の信条は、

一にも健康、二にも、三にも・・・十にも健康

同時に

一にも感謝、ニにも、三にも・・・十にも感謝

ご覧頂いたように体は至って矮小、でも大戦には、召集四ヵ年の実戦を経て帰還、すぐに開拓という環境に飛び入りながら耐えてきました。

四十年間(年齢)から歩き始めました。そして自分ながら不思議と思うことは、年代を重ねる程、歩く日数が増えました。 一昨年(18年の暮れに家内がなくなった年)は一週間は体を休めましたがそれ以外は無欠。昨年も一年中で1~2日冬に多少風邪気味だったので用心して休みました。

御来訪頂いた時にお話したかもしれませんが、歩き始めましてから、地球二周歩きました。周囲が四万キロですから八万キロ歩きました。

さて、今後の計画は、来月7月29日で、漸く満93歳になるのですから、一日最低4キロとして年に1500キロ弱、この計算ですと、後20年以上生きなければ三周できません。その前に地球の寿命が尽きてしまうのではと、知呆にも似た計算をしておりますが、この体と平行して、前述の一にも二にも・・・・。感謝の念を併せ抱き続けたい。

以上が私の残世の方針です。今日も朝、2キロ半歩き、それからゲートボール、午後から3時間畑でゴルフ、夕方2キロ余り散歩しました。私の無駄話としてこうした駄筆による手紙はかえって失礼と存じますので、この辺でペンを擱(お)かせて頂きます。

重ねて御来訪と御音信に対して御厚礼申し上げます。

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これなんですよ。93歳ですよ。驚いたのなんのって。

あんた見習えますか?

最後に表紙の裏にこんな言葉が書かれてある。

生きることは むずかしい

生きることは たのしい

生きることは 尊い

まるで、この人のそのままの人生感が書かれてある。

こんな素晴らしい人に、我が65年の人生のほんの一瞬のすれ違いであっても、出会えたことを感謝したい。

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