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2008年7月 7日 (月)

余命一年の宣告を受けて、かれこれ一年

余命一年の宣告を受けたが、あえて自宅を選択した。ところが便が出にくくなり、名大へ緊急入院して手術することになった。そのKさんが帰ってきている。

7月2日に家の前を通りがかったら、ちょうど医者で点滴を受けての帰りだった。

5月25日に帰宅した。最近食事ができないので、また名大へもどることになりそうという。食べると戻してしまうという。近くの医者がいいが、Y病院も市民病院もD病院も、自分ところでやった手術でないので、嫌がるという。

ガンの摘出は、二日掛りの手術で、輸血した量は8000ccという。そのせいで、黄だんになったという。

手術した腹に、右足の皮膚と神経を移植(こういう手術は名大しかできないという)、右足の移植あと10×20cmへ、今度は左足の皮膚を移植したと見せてくれた。

ところが右足は、皮膚と一緒に神経を腹へ移植したので、感覚が無いという。歩くのに不自由で、自転車なら片足で漕げるからと、近所の医者へ点滴に行っている。

今年の初めの私のブログに、細かいことを書きましたので参考まで。
https://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=22549400&blog_id=116845

どうしてこんな苦労が、この人ばかりを襲うのか、悔しい気持ちがします。

いま体重が48kgしかなく、私の色黒を見て、うらやましいという。足の感覚をなくしてふらつくKさんに長話は禁物。早々帰ろうとするが掛ける言葉を失う。
とにかくあきらめないで、がんばってくださいとしか言えなかった

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