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2008年12月19日 (金)

柳生の無刀取りは、おにぎりから始まった

Photo_2 柳生無刀取り発祥の寺が妙興寺である。

普段法要とか講演・説教が行われる方丈(客殿)の南門の西に、「上泉伊勢守信綱修道跡」という小さな石碑が立っている。その案内には、柳生無刀取り発祥の碑である。

尾張柳生の本家の当主・柳生巌長(よしなが)氏の著『正伝新陰流』のよると、信綱が清洲から伊勢路への途中、妙興寺あたりにさしかかった時、村中が騒いでいる。村人にたずねると、乱心者が子供をさらい、妙興寺の納屋に立てこもっているという。信綱は寺から法衣を取り寄せ、頭も僧形にまるめて、握りめしを2つ手に持って、乱心者に呼びかけた。

「見ての通り、わしは僧りょだ。仏に仕える身は慈悲を第一とする。聞くところのよると、その子は昨夜から飯つぶ一つ口にしていない。この握りめしを食べさせてやってくれないか。乱心者が手をのばした。信綱はさらに呼びかけた。

「お前も一つ食べんか」

乱心者は抜き身を放して、もう一方の手を出そうとしたその瞬間、信綱は乱心者を取り押さえた。

信綱は弟子の宗巌に、無刀取りの技を完成させるように頼んだ。無刀取りとは、素手で敵に対し、剣を奪って敵を制することである。

宗巌がこの技を完成して、信綱から印可状を授かった。この宗巌がのちの石舟斎で、徳川家康に見いだされてから、忠勤にはげんだ。(テレビや映画では、幕府の裏側でいつも諸大名に隠密を送り、なりふり構わず、幕府を守るためならなんでも画策するという、後ろ暗い人物像がもっぱらだが)

のちの巌延の手記『兵庫由来記』には、信綱が妙興寺で乱心者を捕らえた話を、父祖(信綱・宗巌)伝承として記録している。信綱が妙興寺の庭にかがんで何気なく砂文字を書いていたら、突然乱心者に切り付けられた。とっさに刀のみねを両手で引きすえ、組み伏せたとある。

ずいぶん話が変わっている。兵法者としては、握りめしでごまかしたよりは、パッと素手で刀を受け止める方が、柳生家としてはハクが付く。どちらが本当なんだろうねェ。この分だと『兵庫由来記』が残っていくだろうなァ。

伊勢路にでるのに、妙興寺に寄るのは遠回りになる。そこを探ると、信綱は妙興寺に滞在して、禅の修業に励んでいる。剣禅一致の精神を会得するためだったらしい。(失礼しました。単なる物見遊山の寄り道かと思った)

そういえば、この山門の下で、時々居合の練習をしている人と、よく話し込む。ヒョットして、柳生さんなんだろうか。今度聞いてみよっと。

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