痛風ランナー? いちのみやタワーパークマラソンで奮闘する
オイッ!お前は「鈍足ランナー」の異名を持っていたんではないか?いつから痛風ランナーになったんだ、ウン?
そうなのよ、正月明けて7日、朝起きたら左足の甲が腫れあがっていて、しかも痛いんである。腫れたところがブヨッとした感じで、赤くなっていた。
いろいろインターネットで検索をしていたが、どうにも「痛風」の二文字が目に付いて離れない。そこで自己診断をして、まずは正月中の飲み過ぎを反省することと、水を飲むことを始めたら、3日目には治まってきた。
今日は完全に普通の足に戻っている。助かった。
実は11日の今日、12日開催される「いちのみやタワーパークマラソン」の準備がある。今年は参加人数も昨年と同じ6000人を越えた。河川敷でありながら、良くぞたくさん応募していただいた。
ランニング専門雑誌の『ランナーズ』が、河川敷に入った大会は、ほとんどジリ貧になる。3100人まで落ち込んだ大会が、なぜ参加者が増えて続けているのか。それが知りたくて、2005年1月の大会の取材にみえたほどだ。
つぶさに見て回り、『ランナーズ』は2005年4月号で、
ーー行政と陸協と市民ラーナーが意見を出し合い、コラボレートする大会、と結論付けた。そして、参加者が減少する中、生き残っていくのは、こんな大会かもしれないーー
と、言っている。この年(2005年)の参加申込者は4369人であったが、2008~9年の参加者は6000人を越えている。依然と伸び続けているのである。
この世間の期待と、この参加者のためにも、ぜひ楽しい大会にしたい。実行委員会は燃えているのである。
こんな中、痛風で足を引きずって痛い目をしながら楽しい顔はできないからだ。そんな器用さはワシにはない。
私の担当は、仮装の審判の責任者である。でも審査員は議員さんや校長さん体協など来賓を含めて、8人もいる。だからワシは、仮装の選手を盛り上げる方に回ることにした。この方が面白そうだからと、勝手に責任者の地位を悪用して人事異動した。採点する審査員は少ないほうが計算しやすいからという、勝手な理由をつけて。
こういう意外な行動は、先生は嫌うだろうなァと、フト快感を覚える。
ゴールでウエディングドレスを着て、大いに私も楽しもうというわけだ。なんでもイベントは、楽しくなければ成功はしない。だから自分から楽しもうと思っている。こんなとき、足が痛い痛いでは困るンである。
明日の朝また痛くなるといけないので、早目に水を飲んで寝ることにしよっと。
翌日、足の甲の腫れは引いていた。ヤレヤレである。どうもこの年ともなると、なにやかや体に異変を感じるころだ。現在満66歳である。
走りたくて頚椎の手術と脊椎に手術をしたのに、痛風で走られないなんて、どこに伏兵が隠れているやら分りァしない。
大方の原因が、アルコールからきているのは確かだ。近所の内科のバーチャン先生から、「アンタさんねェ、細く長く飲みゃァよ」と忠告された。飲むなとは言わないところが、この先生の面白いところだ。飲むなと言われると余計に飲みたくなるものだ。よく心理を見抜いている。
食事の片寄りを無くすのに、こう指導する。「丼物より、定食をとりなさい」という。「オバーチャンの知恵袋」という、実に味がある。
今回の痛風は、自分で治した。自分の体を、自分の意志でコントロールできている内はまだいい。医者に掛からなければならないようにだけしたい。それでなくても、高血圧の薬服用、肝臓の数値といまケンカの真っ最中である。これ以上は自分で管理できなくなるからだ。
国府宮のはだか祭りへ、ランナーだけの「はだか祭り早駆け」を再開したいが、風呂屋が営業をやめてしまった。そして私の腰痛の手術が重なった。最近、風呂屋がどうも再開するという嬉しいうわさを聞いた。今年は間に合わないが、来年、ヒョトしてこのイベントができるかもしれないと思うと、痛風なんかに掛かっておられない。
大会は大した問題もなく、無事終了した。ヤレヤレと胸を撫で下ろす。来年への不安は、この不景気で、大会の縮小や中止なんてないことを願うのみだ。
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