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2009年4月12日 (日)

妙心寺・650年大法要へ

早朝5時45分出発。5分前に行ったらもう最後で、家内と私はバラバラの席となった。こんなものグループ別に席取りしてあると思っていたからだ。うかつであった。

早い分だけ、高速道路は空いていて、土日が1000円になったので、もう少し混むかと思ってたので拍子抜けである。

まったくの計画通り、8時半に妙心寺へたどり着いた。今回は無相大師が開山され、亡くなられて650年になり、3月~4月にかけての法要である。参加費は、初回参拝者は、輪袈裟(首からかけるタスキ状なもの)の分だけ1000円高いという。ところが菩提寺が今回80人募集して80人の檀家の参加で、僧侶を入れると100人になったので、バスが満席であった。キャンセルが出てチョボチョボになる計算だったから余ってしまったという。だから1000円返金された。ありがたやァ。

駐車場には全国の妙心寺派から、バスでドンドン送ってくる。今日は信越地方と愛知西部が多かった。終わって帰るころには、バスが20台を越えていた。これが昼ごろである。そしてまだ入ってくるバスもあった。

今日は一番早い9時からの法要に参拝する。約一組が約1時間、今日一日で3回1500人の法要が営まれたという。私たちのグループは、ざっと数えると、300人と僧侶が40人ぐらいいる。それほどの法要である。勤行(ごんぎょう)聖典というお経の本を渡されて、参拝者も読経する。法堂(はっとう)がでかいので、読経の荘厳さが、心にドドッと迫る程ではなかった。

Photo_2  この法堂を支える屋台骨の何十本も林立する柱が、一抱え2mで、しかもこれは一本の樹を四等分したという。今から350年前、これを富士の裾野で切り出してからいかだに組んで、沿岸沿いを船で引いてきた。紀伊半島を回り、淀川を上り、陸上は一柱30頭ぐらいの牛に引かせて、運び込んだという。このスケールのでかさに驚いた。

350年以上前の何の機材もない時代で、良くぞこんなでかい建物ができたものだ。この周りには46の塔頭(たっちゅう=寺院)がある。あまりもの大きさに驚いた。

法要が終わって外に出ると、法堂の参道には、仏具を売る店、八橋など土産を売る店がドッと出ていた。商売熱心なことだ。

2 山門の基本的な作り、玉鳳院の扉に付いた応仁の乱の矢じりの跡。法堂の天井画の狩野派狩野探幽筆による竜の絵は、「八方にApr1201 らみ竜」という。この竜は、ワニの口、ナマズのヒゲ、シカの角、ウシの目、コイのウロコ、タカの爪という(これは単に画題にしたということなのか?)。350年前に日本にワニがいただろうか。これを8年かけて描かれたという。

普通の竜は、中国から伝わったもので、4本の足はトラ、ウシの耳、シカの角、ラクダの頭、ヘビの首と腹、コイのうろこ、タカの爪のはずだが。なんか気になる竜だ。もう少し調べる必要がありそうだ。

宗教心ない私は、そういうことを気にするばかりだ。

昼は退蔵院の精進料理を頂く。なかなか量が多く食べ応えがあっ7 た。中でも感心したのは、焼きおにぎりを朱塗りの急須に落とし、これを茶代わりにするという。飲んでみると、ほうじ茶のような香りが出ている。(オウ!なかなかやるじゃないか)

満腹状態で庭園や塔頭の寺を見て歩く。

さすが京都、外人の多いこと。日本を代表する街だからなァ。だが、ダラダラとした観光歩きはずいぶんと疲れるのもだ。

京都国立博物館では、特別展覧会「妙心寺」が開催されていた。この開山無相大師650年遠諱記念がコースに入っていた。国宝級なものが館内いっぱいに展示されていた。

帰りも土曜にもかかわらず、スイスイと夕方6時に予定通り帰られた。7時過ぎの交通状態は、もう渋滞が出ていた。旅は早く出て早く帰ることが一番か。

今日は一日、「妙心寺」で満腹状態である。

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