婦人が立ち小便した時代があった
一宮郊外をマウンテンバイクで走っていると、田んぼの向こうの方で、オバーチャンが今どき珍しい立小便をしていた。この光景を見て、先日読んだ本のことを思い出した
最近よく読んでいるのは、『嬉遊笑覧』喜多村筠庭著である。これは江戸時代後期の風俗百科事典である。ここにこんな記述がでてきた。
ーー京都の婦人も、昔は立ちながら小便することはなかりし也。後世田舎風移りて、今のようになれるなり。蹲(うずくま)りてすること、今にては江戸のみにや。其の外は大かた立ちながらする。ーー
ところが調べていると、明治に入っても、堂々と行われたようである。これが下記のホームページから出てきた。http://www6.plala.or.jp/fynet/2book940toire-jyosei-tachi-syoben.htm#940002女のトイレ事件簿
紀元前5世紀に古代エジプトを旅したギリシャの歴史家ヘドトスはこう記録している。「小便を女は立ってし、男はしゃがんでする」におどろいたという。ところが現代でもアフリカのカラハリ砂漠の部族は、同じ習慣らしい。『トイレで笑える雑学』プランニングOM編
用便後の始末である。尻拭きのことである。これにはこんなことが書いてある。
ーーー「瓶水(へいすい=かめのみず)を持ち、丸めた土(?)を厠の外に置き、これをとりて厠に入り、左手にてその土と水をもて洗う。また、籌片(ちゅうへん)を用いることもあり」といえり。ーーー
籌片は尻拭き竹べらと思えばいい。他には草木の葉、藁の屑、木箆(へら)、厠などでば竹べらを用いる。
丸めた土と水で、尻は泥だらけになってしまうがやァ。それ以外の説明がないから、ワシの読解力ではなんともならん。みんな想像してちょ。
竹べらはいい。これで抉(えぐ)るンである。そぎ取ると言った方がいいか。ニューギニアの一部の島では、葉っぱをちぎって、それで丸めてシュッと抉るんだそうだ。最近少しできるようになったが、時々失敗する。フキの葉はもしかして、「拭きの葉」なのかもしれない。何となく葉の表面がザラついているから、拭き取りやすそうな気がする。一度やってみるか。でもザラザラが尻に付いたら大変だぞ、という不安があるから、いまだに実行していない。
紙はいつごろ使ったかというと、これにはこんな記述がある。
ーーー草紙の「草」は糞汁をいえど、これを用いる紙は一種の麁(漉)紙(すきがみ)なるべし。江戸にてすきかえしの紙を落とし紙、また、草紙がみといえり。---
草紙と言えば、歌や文を書き込むために糸でとじあわさたものだが、これは本来糞紙に使っていた草紙を、鱗形屋の絵草子にこれを使ったことから、「草紙」の名が残ったという。本当は糞紙のことなんだ。
難儀しながら江戸時代の文章を解読するのは、朝方4時半ごろであるから、目が冴えてしまう。いい目覚ましだ。そこで一句、
抉る技 パッと決めて 快し 泉峰 (どうだ字面まで合わせた)
オイ!こんなのが出てきた。国立陸上競技場の地下の女子トイレに、立小便用の便器が備え付けてあるという。人のホームページより。
ーーーさて、東京オリンピックの開催された1964年に建設された東京国立競技場の陸上トラックの地下にあるトイレですが、男性用立ち小便器の隣にあるのが、世にも珍しい「女性用立ち小便器」です。
期間限定の『TOTOトイレ博物館』に展示されていた「女性用立ち小便器」(写真中央)。
使い方は、おしりを便器の方に向けて中腰になって使います。おしりを便器に触れさせないところがポイントです。
すぐに用を足せるようにという目的で設置したようです。
競技中に実際にこのトイレが使用されたことは過去に一度もありません。ーーー
ということは、みんな敬遠しているンだろうか。そのほうがかわいらしいがねェ。みんな堂々とやっていたら、幻滅してしまうからだ。
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