「めげたら」とは?
『嬉遊笑覧』喜多村筠庭著のこんな面白い話が載っていた。
江戸に飴を売り歩く者に、一種古キセルなどと代え歩く者を、「とつかへべい」と名付く。その呼び歩く掛け声は、「めげたらしょ、きせるの古いととつかへべにしょ」と言って飴と交換していたという。「とつかべい」は「取っ替えべェ」のことだ。
この「めげたら」というのは、損なえるきせるをいう也、とある。欠け瓦を「めげ」と言うと同じ。別にきせるでなくても、「こわれたら」という意味だと思う。
今の古語辞典で「めげる」を引くと、「欠け損じる」とある。現代の辞書では、
- 弱る。気がくじける。「雨にもめげず」「失敗にもめげずに」
- 欠けたりぶつけたりしてこわれる。「箱がめげる」
と出てくる。
この「とつかへべい」のよって集めるのは、古きせるや古釘であった。なぜ集めたかという説明には、こうある。「正徳(1711年)ころ、浅草田原町に善右衛門という者ありしが、生国紀伊道成寺の僧、つき鐘建立のために江戸に下りて、このこと頼まれしかば、飴と古かねと取りかえて、町々をあるきし、是その始め也」とある。
おそらく金属製品を作るための、キセルとか古クギ集めだったのであろう。
昭和の大戦後、私たち子供が、ラジオが壊れると中から磁石を取り出して、それを引きずって釘を集めて、くず鉄屋へ持ち込んで小遣いにしていた。あれと同じだ。
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