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2009年6月25日 (木)

茶道とスパゲッティーのスプーン

中日新聞にこんな記事を読んだ。

ーーー茶の湯文化学会の会長も努めた中村さんは、茶道具や茶室に凝るような、いわゆる数寄者(すきしゃ=茶道を好む人)の茶よりも、むしろ庶民の茶こそが、茶道本来の美意識である「侘び茶」と共鳴し合う、と考えている。ーーー

そうだ、これなんだよなァ。

ーーー「始末(倹約)を美徳とする気風があるでしょ。侘び茶の精神も、不自由な山居のような庵で、ありふれたもので工夫して客をもてなし、茶を楽しむことが本質なんですよね。ーーー

久しぶりにいい言葉を聞いた。いいかい、千利休が侘び茶をこんな狂歌で表現している。

「茶の湯とはただ湯を沸かし茶を点てて呑むばかりなり本と知るべし」

これを作法で縛り付けられるから、出された方も戸惑いの作法を見よう見真似でギクチャクしながらいただくことになる。だからうまいともなんともない味気ないものになる。

ワシなんか、無作法で失礼しますと言って、ガブリと飲む。委細かまわずである。妙興寺の老師の部屋で、点ててくださった抹茶でも、がぶりであった。礼儀知らずでなく、作法を知らないだけ。背伸びして、真似しなくてもいいと思っているからだ。

今日一宮博物館で、6月20日~7月26日まで、「茶の世の浸透」という特別企画展Photo が行われている。あまり「茶」には関心がないが、「侘び茶」「野良茶」には関心がある。見てきた中には、この二点はなんの説明もなかった。本来この尾張で、「茶」を説明するなら、これをもっと深く追求しなくては意味がないのに。たぶんこの企画を持ち込んだ、イベント会社がこれに気がつかなかったのだろうか。少し残念な気がする。

私が昭和41年、車のセールスになって、稲沢を担当していた。農家に行くと、縁側に座って、すぐに抹茶を点ててくれる。菓子がないと、砂糖を手のひらにちょっと乗せて、茶菓子の代わりにした。布巾なんかは薄汚れ、茶を点てる手は、土くれていた。これがこの尾張では当たり前だった。これが野良茶である。野良仕事にも、抹茶道具が付いていたものだ。正座して飲むのでなく、土手に座って飲むのである。今でも法事になると、どこでも抹茶が当たり前に出るのが、ここ尾張である。

極端に話は変わる。

スパゲッティーはホークで召し上がる。ところがスプーンが出てくるところが多いのは日本だけらしい。へっ?ワシ海外へ出たことないので、その辺の事情を知らなんだ。外国でばらく生活していて、いま会員制のホテルに勤めている友人が教えてくれた。そうなんだ。スプーンがあれば麺をうまくクルクル回せる。日本流の「改善」である。ヒョットして外国に出て行く作法になるかも。漢字の文化を持つ中国に、日本から「働」という漢字が逆に出て行った。これと同じかも。

ところが、ホークの背中にご飯を乗せるのだけは、やめてまえんかね。こんなあほらしい作法を持ち込んだ責任者出て来い!

作法はほどほどにして欲しい。でも最低限、ひじをついて、クチャクチャされたらたまらんが。

作法もほどほどにして、お茶でもゆっくり飲みたいがねェ。

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