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2009年7月28日 (火)

野外映画で昭和38年の一宮を見た

一宮の七夕まつりの日に、ほのぼのとした映画会が開かれた。

本町通りに隣接する20軒ほどの小さな町、中小路発展会がそれで、商店もあるが、そうでない勤め人の家もある。そんな中でサラリーマンのKさんが毎年企画して本町通りの賑わいをよそに、町内が楽しんでる姿が、なんとも微笑ましい。

先日、我が家にKさんが来て、今年は映画会をするといいう。ならば地元新聞の中日新聞で企画を報道してもらったらというと、朝日新聞ぐらいがちょうどいいという。中日新聞だとドカンと人が集まり、大混雑するだろうという。場所は葬儀屋の駐車場で、20台ぐらい入れるほどの広さしかないからだ。

25日午後8時から約1時間放映される。午後2時過ぎから大雨だったが、その時間には珍しくぴたりと止んだ。久しぶりのが野外映画で、スクリーンの右端を、南の家のトイレから紐でつるし、左端は長いハシゴに固定してあった。

16mmの映写機が机に上にすえてあり、技術者が5人ほど取り付いていた。この技術者は16mm映写機操作技術講習会の修了者である。フイルムは一宮市立豊島図書館に保存さてている。こういうフイルムの貸し出しは年に一回あるかないかという。もちろん技術者立会いでないといけないが。

映画は本格的なドラマ仕立てで、この一宮を舞台に、女工さんと経営者が、この子らを預かっている責任と、女工さんを狙う、危ない世界に引き込もうとするやからと、市の監督事務所、子供の親元らが織り成す地域社会を映し出していた。

内容より背景が気になって仕方が無い。まだこの道は舗装されていなかったのか。名鉄の電車はもうパノラマカーだった。大江川の周りは染色されて糸がスダレのように両岸を埋め尽くしていた。子供のホームシックを心配して、経営者が親を呼び久しぶりの親子対面させる。その背景が妙興寺であった。

危なく水商売に引き込まれていきそうになったの子を救い出し、同僚と対面する背景は、木曽川に掛かる濃尾大橋で、その当時はここは有料で、料金所があった。なんと懐かしい。観客が見覚えのある場所を見つけると、声を上げて、「アッ妙興寺だ」「大江川だ」と叫んでいる。こういう企画がとてもほのぼのとして、Kさんに拍手であった。

終わったら、Kさんがビール券をくれた。生ビール2杯のビール券である。Kさんはまだ何かするようだ。子供がドンドン増えてきた。なんとスイカ割をするという。大きなスイカを2個用意された。何人も挑戦してやっと割れたスイカを私まで頂いた。

町内の人に誰が企画しているかと聞くと、Kさん意外にこんなことはできないという。なんとなくうれしくなる。毎年私の「初もうでジョギング」に犬を連れて参加してくださる。彼がKさんである。もう一度拍手を送ります。

こういうイベントには必ず顔を出すようにしている。友人のランナーのイベントが多いが、顔つなぎをしているようですが、もし自分が企画するイベントならば、多くの友人に来て欲いし協調してほしいからだ。大事なことだ。

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