市の中心部は、過疎地化している
一宮のせんい団地に、イトーヨーカードーやイオンが出店を計画していたが、ことごとく出店中止になった。この景気の悪さもあるんだろうが、この一宮というところは、欲得の深いところで、一円でも高く買わせようとする粘る商人が多い。ましてや、その欲得の深いせんい団地という拠点に入り込もうとすると、兵隊アリの巣に足を踏み込むと同じである。
イトーヨーカドーが4年ほど前に計画をした。そして一昨年イオンが計画したが結局だめである。一宮の本町を見れば分かる。まるでシャッター通りに成り下がっている。値が高いから借り手がいないのである。
この本町は雰囲気としてはいい造りで、大須に似て、適度に狭く、アーケードがあり、市内の中心に位置しているし、駅にも近い。大須のように家賃を安くすれば若い人が入るのに。そうすれば若い人が若い人を呼ぶ。結果として活気が出る。
名古屋の大曽根には、オズモールがある。ここはアーケードなしで、道が広い。100人の客があると、大須は満員に感じるが、オズモールはガラガラに感じる。若い人は若い人を呼び、人は人を呼ぶ。同じ100人でこんな感じ方がの違いがあるのだ。
いま、一宮市の中心には八百屋が少ない。しかも市の中心のわが町内は、限界集落になってきた。
この限界集落とは、長野大学の大野晃教授が、過疎地を調査していて、提唱した言葉だ。
ーーー長野大学である大野晃教授が、高知大学人文学部教授時代の1991年(平成3年)に最初に提唱した概念である。
中山間地や離島を中心に、過疎化・高齢化の進行で急速に増えて来ている。このような状態となった集落では、集落の自治、生活道路の管理、冠婚葬祭など、共同体としての機能が急速に衰えてしまい、やがて消滅に向かうとされている。共同体として生きてゆくための「限界」として表現されている。「限界集落」には、もはや就学児童より下の世代が存在せず、独居老人やその予備軍のみが残っている集落が多く、病身者も少なくないという。
大野は、65歳以上の高齢者が自治体総人口の50%を占める状態を「限界自治体」と名付けた。「限界集落」は、この定義を集落単位に細分化したものである。ーーー
これなんですよ。これをわが町内に当てはめたら、なんと65歳以上が57%であった。まず八百屋が近くにない。大手のスーパーが郊外へ大型店を造っている。だが町の中は、独居老人が住んでいて、子供らは別居している。
これで買い物というと、老人用の手押し車で、1km近く先まで買い物である。腰を屈めての買い物は大変である。
あるスーパーが、注文すると、献立にあわせて配達してくれる。これは便利と思ってオバーチャンに聞くと、女はね、品物を見ながら今夜の献立を立てるのよ。品物も見ないではなかなか買いにくいよ。この一言で片付けられた。
以前、市とスーパーに買い物バスを走らせたらどうかと提案したが、いとも簡単に断られた。
わが町内は、都市の中の僻地と成り下がってしまった。
ここは八ッ場ダムとか徳山ダムのある僻地とは違う、だが近所の大きな病院が、住民を押し出して過疎化している。この話を友人に言うと、名古屋の中区も、ビルの隙間に人が生息していて、そこは高齢化しているという。名古屋のど真ん中が過疎化しているのだ。
どうにもならない社会現象として片付けていいのだろうか。
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