無刀取りに諸説あり
愛知県一宮市の妙興寺が発祥であることには変わりない。登場人物は上泉伊勢守信綱である。彼がここで剣と禅の修業をしている。これが舞台設定である。
- その一『妙興寺散歩』後藤利光著
尾張柳生の本家の当主・柳生巌長(よしなが)氏の著『正伝新陰流』のよると、上泉伊勢守信綱が清洲から伊勢路への途中、妙興寺あたりにさしかかった時、村中が騒いでいる。村人にたずねると、乱心者が子供をさらい、妙興寺の納屋に立てこもっているという。信綱は寺から法衣を取り寄せ、頭も僧形にまるめて、握りめしを2つ手に持って、乱心者に呼びかけた。
「見ての通り、わしは僧りょだ。仏に仕える身は慈悲を第一とする。聞くところのよると、その子は昨夜から飯つぶ一つ口にしていない。この握りめしを食べさせてやってくれないか。乱心者が手をのばした。信綱はさらに呼びかけた。
「お前も一つ食べんか」
乱心者は抜き身を放して、もう一方の手を出そうとしたその瞬間、信綱は乱心者を取り押さえた。
信綱は弟子の宗巌に、無刀取りの技を完成させるように頼んだ。無刀取りとは、素手で敵に対し、剣を奪って敵を制することである。
宗巌がこの技を完成して、信綱から印可状を授かった。この宗巌がのちの石舟斎で、徳川家康に見いだされてから、忠勤にはげんだ。(テレビや映画では、幕府の裏側でいつも諸大名に隠密を送り、なりふり構わず、幕府を守るためならなんでも画策するという、後ろ暗い人物像がもっぱらだが)
のちの巌延の手記『兵庫由来記』には、信綱が妙興寺で乱心者を捕らえた話を、父祖(信綱・宗巌)伝承として記録している。それがその二である。
- その二『妙興寺散歩』後藤利光著
信綱が妙興寺の庭にかがんで何気なく砂文字を書いていたら、突然乱心者に切り付けられた。とっさに刀のみねを両手で引きすえ、組み伏せたとある。
ずいぶん話が変わっている。
- その三『禅の心』狭間宗義著(妙興寺住職)
上泉伊勢守信綱が、戦国の世に妙興寺のこられ、禅の修業をしていた。あるとき妙興寺の山門の池の辺りだと思うが、歩いていると後ろからいきなり狂人が切りつけてきた。その時思わず敵の刀を手で抑えてしまった。これを弟子の柳生石舟斎に、これを一つの流派として完成してみよといった。これを無刀取りとして完成させた。
兵法者としては、握りめしでごまかしたよりは、パッと素手で刀を受け止める方が、柳生家としてはハクが付く。どちらが本当なんだろうねェ。この分だと『兵庫由来記』が残っていくだろうなァ。
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