名刺ってなぜ、刺客の「刺」をくっ付けているのか
名刺という漢字をよく見ると、「刺す」という物騒なものがついている。そこでまず広辞苑を調べてみると、
ーーー(昔、中国で竹木を削ってこれに姓名を記したものを「刺」といったところから) 小形の紙に姓名・住所・職業・身分などを印刷したもの。訪問・面会その他、人に接する場合に用いる。「―を交換する」ーーー
とある。ウィキペデアから拝借すると、
ーーー発祥は古代中国の後漢頃に遡る。士大夫階級が、誰かの邸を訪問する際に、門前の箱に「刺」と呼ばれる、姓名と身分を書いた札を投じて、取次ぎを要請した習慣がそれとされる。三国時代の呉の武将朱然(182年-248年)の墓が1984年に発見され、発掘された結果、副葬品に彼の「名刺」が発見された。これが現存する最古の名刺とされる。ーーー
でもなァ、なんで名を知らせるのに「刺」なんだろう。これを漢和辞典で調べると、
- さす。(ア)つきさす。さしころす。(イ)ぬいとる。(ウ)いれずみをする。
- かりとる。
- 採取する。かきどる。
- そしる。
- せめる。いさめる。
- ほこさき。ほさき。
- とげ。はち。のぎ。
- なふだ。
最後になってやっと出てきた。出てくるまでの間、不信感を抱いていた。「さしころす」とか「かりとる」「せめる」と、まるで戦争をしているようではないか。
私が「小さな足跡」という小冊子グループに入っている。この仲間に、なかなかな名家出身の方がいらっしゃる。何でも薩摩藩士で大河ドラマの「篤姫」に出てきた島津斉彬を主君にするときに、強力に推挙したというのが、この方の先祖だという。だからまるで自分の先祖のドラマを見ているようだったと、言っておられた。
もっと昔、秀吉のころ「賎ケ岳の戦」で名を上げた「賎ケ岳の二本刀」のひとりで、剣の達人で武功をあげ、恩賞を受けた「壱岐半七郎」が先祖という。「賎ケ岳の七本槍」は有名だが、「賎ケ岳の二本刀」は知らなんだ。
この方が書いた名刺の話で面白いことを書いてみえる。
ーーーいまから360年前になる寛永14年、キリシタン信徒の反乱による「島原の乱」のときのことである。水野日向守の小姓で三好次郎九郎という武士が、原城に攻め入り、大いに奮闘した。この働きぶりに感心した幕府軍の武将が、彼に名を尋ねたところ、前もって作っておいた名刺を鎧から取り出して渡したのである。
こうして大量の名刺を配ったという記録が残っている。彼は主君日向守から大いに褒められ、とくに名刺を配ったことについても、主君からその周到な心がけに感心させたという。これが日本で名刺を渡した最初の人かもしれない。ーーー
私が車のセールス時代。名刺はふんだんに使っていた。また使わないと仕事をやっているかと疑われるからだ。名刺はメモ代わりにドンドンお客さんに差し出す。年始の挨拶に今誰でもやっている、「賀正」「謹賀新年」などと判子を押して挨拶に行くが、昭和40年当時、私はこれに「賀正」と筆で朱書きして、出していた。当時誰もやってなかったな。
今でもマラソンクラブや山のクラブ、祭りクラブを名刺に印刷して、もう年金生活者だが、年間100枚ほど使っている。ウエストバックにはいつも10枚ほど入っている。
名刺は使い方で、ドンドン友達ができるからだ。島原の乱の三好次郎九郎の気持ちがよく分かる。
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