« 孟宗竹のタケノコは巨大だった | トップページ | お~い!寒いがやァ。ミニ氷河期が来たか? »

2010年4月22日 (木)

妙興寺の押し売り案内人の日当

ほとんど毎日ここを通り過ぎる。ここは一宮では一番の森だ。うっそうと木が生い茂る。私の好きな心休まる場所だ。

もう2年ほど前になるか、ここの仏殿の南西に小さな歌碑だ立っている。これは5年ほど前に「すごい和尚がいた」という話を、ブログで7回にして連載した。

これは河野宗寛という先先代の妙興寺の老師で、満州から戦災孤児を300人連れて帰って来られた時の苦労話を、『慈眼堂歌日記』という歌日記で綴られた。ここには、その一首が歌碑になっている。

「親のなき 子等をともない この荒海を 渡り帰らん この荒海を」2

と書き込んである。これを知って、一宮図書館で『慈眼堂歌日記』を借り受けて、読ませてもらって感動した。そこでブログに連載した。

書いていくらもしないある日に、親の在所の法事があり、参列した。ここに妙興寺のいまの稲垣老師が来てみえた。昼の食事時に、この河野宗寛さんのことをブログに書いた話をしたら、なんと、老師が私のブログを読んでみえたという。そして老師が「そうか書いた人がこんな近くの人だったのか」と言われ、お互いの驚いた。

別れ際に、一度妙興寺の老師が、「一度部屋に来るように」と言われた。物おじしない好奇心の強い私は、翌日出掛けた。そこで老師から妙興寺に関する本を3冊頂いた。これをじっくり読ませてもらった。そのせいで、妙興寺の歴史にずいぶん詳しくなった。

一昨年から、4月から10月一杯仏殿がご開帳されるようになった。これに合わせるように、参拝者が増えてきた。

時々この寺に来ている人に、寺の歴史の説明をしてあげることがある。先日は4人同時に案内をしてあげたら、その中の人から、みたらし団子5本を、お礼に頂いてしまった。「こんな面白い話が聞けるなんて、思ってもみなかった」と喜ばれた。

そうだよなァ、私の説明は多少尾ひれをつけて、うそまでは言わないが、この妙興寺の案内書にない話をふんだんにしてあげるからだ。(本当はうそ言ったて分かりゃしないのだが)

みたらし団子で、昼飯が浮いたのは喜ばしい限りだ。

この「妙興寺押し売り案内人」は、11時から11時半ごろ、妙興寺を通り過ぎる。案内が聞きたければ、マウンテンバイクの乗ったヒゲのジジーが登場するから。

|

« 孟宗竹のタケノコは巨大だった | トップページ | お~い!寒いがやァ。ミニ氷河期が来たか? »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 妙興寺の押し売り案内人の日当:

« 孟宗竹のタケノコは巨大だった | トップページ | お~い!寒いがやァ。ミニ氷河期が来たか? »