さくら道270kmウルトラ遠足が走り抜けた
この以前の大会は、「さくら道270kmウルトラマラソン」として開催されていた。私は三回参加して、荘川桜まで154kmまでであった。
このころすでに腰痛が出ていて、ひるがのの坂を腰を抱えて登りつめたものである。
最初の参加は、走る仲間にうどんを作ってやろうと思ったからだ。ひるがのの分水嶺あたりで、深夜走りぬける仲間に食べさせてやりたかった。
この手前の白鳥には、さくら道(国道156号線=名金線)で桜を植え続けた「佐藤良二」さんのお姉さんが民宿をやってみえる。そこには大会で用意されたエイドステーションがあり、しかも地元の青年団が出てきて、飲食の世話をしてくださる。
だがここから分水嶺まで20kmは、まったく民家もない、飲食ができないところを走る。しかも深夜である。そこで分水嶺でうどんを温めて、醤油をかけただけでもうまいから、手を抜いてもうまいからということで「てぬきうどん」と名付けた。
これが走る仲間の、せめて分水嶺まで、あの「てぬきうどん」まで走りたいという目標になった。以来、わが走友会が、走らない者はここでうどん屋を開店した。
三重の三滝走友会が、この「てぬきうどん」というネーミングがいいから、わがクラブを「元祖」三滝を「本家」と勝手に名付けて、富山石川の県境で「てぬきうどん」は開店した。
7年間の間にクラブは様変わりして、それだけ年を食い、荷物輸送するマイクロバスに持ち主が病で倒れた。みんな動きが鈍くなり、てぬきうどんを再開することができず、今日はその応援に出てきた。参加者は250人ほどで、3分の一が7年前の参加者だというから、懐かしい顔に出会った。
7年ぶりに、こんな仲間が走り抜けるので、一宮の裁判所の前に行った。もうすでに先頭集団のランナーは通り過ぎたという。意外に早い通過であった。何人もの懐かしい顔に出会って、ひるがのでやっていた「てぬきうどん」当時を思い出した。ホンワカとしたいい一日であった。
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