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2010年6月 1日 (火)

野田知佑の「旅より」イタリヤ人論

おもしろ読書話。

ーーーこれは40年も前の話である。このエッセイの中で、ユースホステルにいた十数人の世界の若者がいて、「イタリヤ人論」が始まった。当時ヨーロッパでは「女性はイタリヤには1人で行ってはいけない」といわれた。男が寄ってきて道が歩けないのだという。

ドイツの女学生がそのとおりだ、といった。

「時々、口笛を吹かれたり、声をかけられたりするのは悪くはない。だけど、この国では1分おきに今夜どうだ、つき合え、と声をかけられる。こんな小さな12,3歳のガキまで声をかけてくる。ある町であまりにも男がしつこいのでそこにいたお巡りさんに助けて、といったら、そのポリ公め、男達を追っ払ったあとで、私と今夜どうだというの」

「人はこうあってはいけない」という見本のようなものだ。

これを聞いたイタリヤ人は、

「本当だから仕方がないよ。どうせ俺たちはアモーレ(恋)とカンターレ(歌)とマンジャーレ(食欲)で生きているだ」

といった。ーーー

ーーー電車の中で新聞とか雑誌を読んでいる人間が1人もいない、と気が付いた。イタリヤには活字中毒者はいない。乗客は全員、窓から外を見ている。道を若い女が歩いていると、テニスコートの観客のように、みんないっせいに同じ方を向き、後方にぐるりと回り、また前を見る。ーーー

中世のヨーロッパでは、十字軍として、回教徒を撲滅するために、ヨーロッパ中の軍隊が西アジアに遠征していた。その遠征は、数カ月から数年の時もある。兵士は悩んだ。遠征中の留守宅のカーチャンの貞操である。必要は発明の母とはよく言ったもので、十二世紀にあの尻軽いと思っていたイタリア人が、嫉妬のあまりこの貞操帯を発明した。

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今度は貞操帯を発明したのは、イタリア人だという話。

十字軍の遠征が終わってからも、貞操帯は全ヨーロッパを遠征し、愛用されていったという。貞操帯はといやァ、鋼鉄の鍵付きパンツというかTバックだ。必要な所に二ケ所だけ小さな開口部が空いているだけだ。小用はまだいい。出せばいずれは乾くが、大きいほうは出口でフン詰まりになっていき堆積していく。取り除こうにも、開口部にはギザギザが付けてあったらしく、指も入らぬシロモノだった。

当時はあまり風呂に入る習慣がなかったらしいから、その不快感はジュンジョウではない。それも数カ月から数年となると、クソまみれの美女になってしまう。中には自殺する貴婦人が続出したという。これが貞操帯なのだ。

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僕のアクセスには、イタリアからの言語はないから、文句言われそうにない。と思いたい。

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