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2010年7月27日 (火)

オイラ突然料理人 肉じゃが

肉じゃがの発祥地、舞鶴

明治34年初代舞鶴鎮守府長官であった東郷平八郎は、イギリスで食べたビーフシチューの味が忘れられず、肉とポテトをベースにした食物を作るように命じた。日本の調味料であるしょう油と砂糖で味をつけた結果、出来上がったのが肉じゃが、これが旧海軍の艦上食として使われた。その後日本の家庭へと普及していった。舞鶴は「海軍厨業管理教科書より」と出展明示の上、紹介している。にくじゃが(甘煮)の作り方。

材料 生牛肉 コンニャク 馬鈴薯 タマネギ ごま油 砂糖 しょう油

一、油入れ送気

二、三分後生牛肉入れ

三、七分後砂糖入れ

四、十分後しょう油入れ

五、十四分後コンニャク、馬鈴薯入れ

六、三十一分後タマネギ入れ

七、三十四分後終了

もうひとつの発祥地、呉

97年ごろ、もうひとつ名乗り出てきている。広島の呉である。東郷平八郎がイギリス留学を終えて最初に参謀長として赴任したのが、この呉である。その後舞鶴に転勤したという。両者一歩も許さず。

この両者に違いはあるのか。

呉の主張

舞鶴の主張

テーマ

「海軍レシピ通りに料理する」

「二十一世紀に伝える肉じゃが」

肉じゃがの特徴

ジャガイモはメイクインを使用。ニンジン、グリンピースは入れない。

ジャガイモは男爵を使用。ニンジン、グリンピースが入る。

東郷さんとのつながり

明治23年~24年(1890~1891年)、呉鎮守府に参謀長(海軍大佐)として赴任。

明治34年(1901年)、舞鶴鎮守府に初代司令長官(海軍中尉)として赴任。

●最初の陸上勤務は呉であり、東郷平八郎の住居が現存。

●司令長という立場であればこそ、食事内容についても命令できた。

●海軍大佐であったからこそ、肉じゃがを作るように命じたのではないか?司令長官という立場では、当時の海軍の気質から考えると、食事のことまで口を出すとは思えない。

●甘煮のレシピの原本「海軍厨業海軍教科書」はもともと江田島の海軍兵学校にあったもの。海軍経理学校が舞鶴に移ったとき一緒に渡っただけ。

●現在、呉の家庭に伝わる肉じゃがが、海軍の甘煮によく似ている。また、市内には旧海軍のレシピ通りに作られた肉じゃがを販売している

店がある。

●近隣にはジャガイモの生

産地(安芸津町)がある。

●呉には「ほいじゃが」というような、ジャガイモに関係のある方言がある。

●イギリスの留学から帰国後、10年の経ってから舞鶴で肉じゃがを作るよう命じたというのは不自然。

●甘煮のレシピの原本「海軍厨業管理教科書」が唯一舞鶴に残っている。

●留学していたイギリスのポーツマス市市長から、舞鶴が肉じゃが発祥の地であるというお墨付きをもらっ

ている。

●NHKデータブックに、舞鶴が肉じゃがの発祥に地であると記載がある。

●舞鶴では呉より早く発祥の地宣言をしている。

こう言い合いながら共同でイベントを打っているのは楽しい。

肉ジャがの会のホームページより

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