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2011年12月14日 (水)

ビックバーンのスイッチを押したのが神だ

「独りしゃべり」は、入院もしていませんし、死んでなんかません。ましてやお墓の前で泣かないでください。いたって元気です。(そうか、まだお墓はないのだ)

今年はどういう訳か、機械物がよく壊れる。パソコンのDELLを手を滑らせて、3cmほど落としたらこれで壊れた。このDELLはどうしようもなく振動に弱い。

携帯電話を洗濯してしまい修理に出した。これはポイトがたまっていたので無料でできた。パソコンをFUJITYUに買いなおしたら、設定をミスしたらしく、応援の応援2人掛かりで2日かかって修復してもらった。

今回はコミュファーの光にしたら、またまた通信不能になり、最終的には、埼玉に住む情報工学を習得した息子の応援で、回復するのに6日かかった。その間近所に住むK君には、甚大な苦痛を与えてしまった。ごめんなさい。

さて、今日からまたブログを書き始めます。また遊んでください。いきなり話は飛びます。もう機械よ壊れないでと、神仏に祈りたい気持ちを込めて宗教の話に入ります。

宗教というのは、すべて神仏によりこの世界が作られたという。これが今やビックバーンの向こう側を計算し始めている。そうなると神仏の居どころがない。そこで持ち出されたのが、だれがビックバーンのスイッチを押したかという、スイッチの早押しゲームになった。

「創造論」は、万物は神によって作られた、という前提に基づいて構築された「科学」です。創造論自体は信仰であり教義だから、それだけで科学と対立するわけでなくて、時と場合に応じて自分の中で使い分けていることだ。創造論は科学的事実であると主張し始めると問題になってくる。アメリカではこれに関係していろいろな事件がありました。

「スコープ裁判」という1925年の裁判は、学校で進化論を教えた先生が訴えられた事件です。

その後、進化論は理科の時間に教えられるようになりました。普通に考えれば、進化論を理科の時間に教えて、宗教の時間に創造論を教えるならば問題がないように思います。しかし、神による創造を科学的事実であると主張する人たちは、神による創造を理科の時間に教えなさいと要求する。アメリカのいくつかの州には、「授業時間均等化法」というのがありました。これは進化論も創造論も科学的事実だから、進化論も創造論も同時に教えなさいという。こうなると問題です。

こうした法律が最後まで残ったのがルイジアナ州で、最高裁で違憲判決が確定したのが1987年です。

もともと無信仰な私は、こういう話をすぐに笑いたくなる。

ビックバーン以降、宇宙は収縮を始めるという説と、反重力物質があり、宇宙は際限なく広がり続けるという説が最近出てきた。望鏡では見えないならば、宇宙に望遠鏡を打ち上げて見てしまう時代だ。なにが出てきてもおかしくない。

先日、日本が情報収集衛星H2Aロケットの打ち上げに成功している。これなんかは、地上1mの物を見分けられるという。そこらで立小便もできない油断のならない世の中になった。

すこしブログを書いていなかったので、話が支離滅裂のなってしまった。ゴメン!

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