花見が好きなのは、日本人だけか?
日曜日、最高にいい天気で、急に暖かくなってきた。なぜか桜を見たい放題と洒落込むか。近場の桜の名所とまでいかないまでも、人気があるところを徘徊することにした。車では駐車のことがあるから、愛用のマウンテンバイクにまたがった。
一番初めは近所の「大江川」である。大変な人だ。東側の側道には屋台が並ぶ。でもどう
しても気に入らないのが、川の中のコンクリートである。U字溝にしてしまった、要するに3面張りという工事で、一番劣悪な工事を町のど真ん中に平然と作った。しかもこの議員たちは、もともとこの川は用水路だからいいんだという。ワタケカ!いまその用水路を自然にしようと努力している市町村があるのに。名古屋の堀川なんぞは、木曽川から水を引きこんで、自然にしようと努力しているのに。実に馬鹿議員が多い一宮市議会だ。いかにも寂しい。
ここの桜の植樹は「昭和29年3月から30年にかけてである。桜と柳共に樹数は264本であった。という記述が元市長の回想録にある。樹木は58年になるから、桜としてはも見ごたえがある。だが距離は旧市内のほんの一部で、1kmもない。
「木曽川河川敷」は相当に古い桜並木がある。ここの桜は、明治18年に植樹されたもので、彼岸桜と枝垂れ桜が主である。ここは約千本の古木で、花が小さくなってきたような気がする。でもそれをカーバーするような樹数で見ごたえがある。もう朝早くからバーベキューセットも持ち出して準備をしいる。子供らが走り回っている。そんな伸び伸びとした広さがある。
空は真っ青だ。気持ちがい~いッ。
元尾西市のやや東寄りに、南北に尾西緑道が走っている。ここは昔小川であったのを塞いで作った人口の緑道である。この地には数少ない並木が桜である。両側を背の低いツツジで、それを覆い被るように咲いている。その下では近所の老人会か、テーブルを10本ほど出してもう弁当も出され、準備が出来上がっていた。
この緑道の東の家は、桜の見える自宅の車庫の中で宴会を開始している。「もっと外へ出れば」というと、「真上を見るより横からの方が全体を見渡せる」というと、脇から「ウソこけ!準備が面倒なだけなのに」と笑う。酔いでもう桜どころでなくなってきている。
一宮駅南西約1kmの昭和にある柳下公園は、なんと満員である。家族連れ、団体、子供会、老人会とあらゆるこの近所の人が出てきたようだ。公園はなだらかな小山をつくり、全体が緩やかな起伏があり、芝生を張りつめてある。その上にグランドシートを敷きつめて、思い思いに昼食を取っている。公園の周りは車でいっぱいだ。
妙興寺に入るとさすがに静かで、ここの山門から見る数少ない桜が実に美しい。私はこの
桜が好きだ。もう少し前には、この西側は、春一番に菜の花と桜が同時に咲く珍しい場所がある。境内は雲水さんらが掃除をしている。挨拶を交わし、毎日出会うギターのMさんや仏殿の管理人Iさんとしばらく話し込むのが日課である。
せんい団地の中のアンモニア臭い小公園では、ひとグループがトイレからかなり離れたところで宴を張っている。トイレは近いが何せここのトイレはアンモニア臭く、誰も来ない。
毎日の新聞で、大江川と岩倉の五条川のマスコミ登場率は俄然岩倉の方が絵になる。岩倉は樹数が多く、距離も市内を縦断して約7km、そればかりか、上流まで遡れば、入鹿池まで桜道が続く。その距離は20kmにもなるだろう(まだ下流を計算に入れていないからねッ)。岩倉は、まず川が自然で、少し川幅が狭いので、両岸の桜が交差して花一面になる。カメラアングルは堤防の下から見上げた表情が見事である。
大江川は仕方がないので行くが、岩倉は行きたいから行くという違いがある。もうすぐ終わりが近づくと、今度は花筏が、桜の木がない田んぼの中をどんどん下流に流れていく。桜の終わりを知らせる便りである。
アメリカでも桜のシーズンになると、大変な人出を報道していた。平和なひと時を感じる。
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