まだ早い桜の宴
10時から町内の神社で、「田楽」をやることのなっている。もう20年以上やっている。わが町内はこのほかに「餅つきと」か、アユのシーズンには「アユとマッタケの宴」がある。
30軒しかない小さな町内の小さな神社のイベントは、毎年行われている。実によく続いている。こういうイベントはなぜか親譲りである。戦後間もないころ、焼け野原で親たちがゴザを敷いて、七輪と鍋、薪を持ってきて火を起し、「ひきずり=すき焼き」をやっていた。
畑のネギや、白菜やら持ち寄り米持参、豚肉や牛肉とかは、このころはまだ貴重品で手に入ら
ず、庭を走り回っている鶏をつぶして使っていた。これはずいぶん後まで続いた。
「?」これってわが家だけきゃ。肉は鶏って。
昭和32年に初めて牛肉が登場する。近所のお大尽(おだいじん=金持ち)からマッタケの差し入れがあった。なんと豪勢な。(町内の備忘録より)
こうして新年宴会や月見の会をやっていた。一度町内中で、リヤカーにチラシ寿司を積んで、5kmほど離れた浅野公園に遠足をした。この写真が今も残っている。あの当時の子供が、今や親父たちの年を越している。
こうして延々と続いている「宴」は、町内のキヅナを強くしていると思う。
今はたった30軒の小さな町内だが、その小さな神社でのイベントの効果は大きい。
むかしと言っても、戦争中から戦後間のなくまで、隣組というのがあった。町内会のもう一つ下に、向こう三軒両隣という組織である。
隣組制度は、何も昭和20年前後の話でなく、いまその必要を感じるようになったきた。孤立した障害者、老人、特に高齢者など、孤独死という考えられないような事態になってきた。こらは20年当時の人情というのが薄れ、希薄になった人間関係がもたらす現代病とした言いようがない。これを無くせるのがこういった行事ではないだろうか。
今日の境内では、テーブルを囲んだり、社務所内にはご老人たちが話し込んでいる。なかなかいい時間を過ごせた。
桜の花はまだ早いが、花より団子で、一向に気にならないのが、この桜のシーズンの田楽である。
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