妙興寺の押しかけ案内人
私はねェ、妙興寺へは毎日出勤しているの。タイムカードまでは用意されていないが、毎日AM11時ごろと、PM2時ごろ、マウンテンバイクでここを通り過ぎる。まるで隣を走る名鉄電車の様だ。時間通り。
この時間は雲水さんらは清掃をしてみえる。毎日のことだから、雲水さんとは顔なじみで、顔を見れば挨拶をする。散歩する人もよく見る顔だと、もうそれだけで挨拶ができる。だが同じ人と本町通りでお会いすると、挨拶ができない。こちらはいつもの自転車スタイル。向こうからは分かりやすい。だがボケが始まった覚えの悪いカスカスの高野豆腐頭の私は、知らん顔。(ゴメン)
ここの仏殿は、4月から10月いっぱい御開帳されていてITOさんという少し愛想の悪いいかつい顔をした(言っちゃいけないよ、彼はパソコンを見ないので、このことは知らないから)、妙興寺の主のような管理人がいる。老師がいないと結構奥の方まで案内をするという。私は入ったことがない。どうも美人には弱いという。(これも内緒)
仏殿の中の、釈迦三尊は化粧直しで京都の文化庁へ出かけて見える。というより痛みがひどく、修理に出している。運び出すときはホコリひとつ残さず掃き取って行った。これをジグソーパズルのようにくっつける。その修理費は家二軒分だという。一軒がいくらだか知らないが、5千万円ぐらいするんではないか(想像です)。修理は2年がかりだという。あと1年半かかる。
ですから今は仏殿の釈迦三尊は写真掲載で我慢している。それでも管理人はいる。ほかにも多聞天(毘沙門天)、持国天、達磨大師、大応国師、大照大師という各像がある。いずれも鎌倉時代の物。幾たびかの火災と震災を潜り抜けてきて痛みはひどい。
山門の下には午後になると、ギターの練習に毎日3時間、いい音を聞かせてくれるMさん。最近は老人ホームに慰問するようになった。アルハンブラの思い出とか、フラメンコなんかは私には実にいいが、老人ホームでは古賀メロディー方がいいみたいだと、状況判断ができるようになったと笑う。
この二人とは仲が良くいつも話し込んでいく。そこへそれぞれの知人が来るから、だんだんと友好の輪が広がってきた。今年に入ってから、いつも来る人が来ないというので調べると2か月前に亡くなったことが分かった。
昨年から歩いて1~2kmほどのところから、歩いて三婆がやって来る。この中のひとりが白血病で入院した。入院中寂しいだろうから、私の書いたエッセイ集を届けてあげた。
ここにはボランティアで説明を買って出てくる人が9人いるというが、Sさんが一番熱心だ。この人がいない隙を狙って、押しかけ案内人をするのが私である。妙興寺の老師から妙興寺に関する本を3冊頂いて、読んで覚えてしまった。それとその時代の周りの歴史も結構興味があり調べているうちに、面白可笑しい説明ができるようになった。「門前の小僧……」となった。お経は覚えが悪い。
しかし鎌倉時代当たりの年代がどうしても出てこないのと、説明を多少ウソこいてもいいが、面白い方が覚えやすい。喜んで帰られると、うれしくなりまた押しかける。(アハッ)
最近若いカメラマンが来る。結構この森でいい写真を撮っている。カワセミ・ルリビタキ・オナガの写真を見せてもらった。このYさんが北海道の流氷の上のオジロワシと、オオタカが同時にはばたく寸前の写真をメールしてくれた。これを入院中の友人にコメントを入れて見舞いに持って行った。いま病室の壁にぶら下がっている。
隣の博物館館長らが、閑だと言って職員とやって来る。
さて2時になるので、いつものマウンテンバイクで出かけるとしよう。
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