平家の落人は山からやってきた
夜叉が池ウルトラマラソンの練習会の思い出である。揖斐川の上流に坂内村というところに、港屋という旅館がある。辺ぴな集落でお客さんがあるんだろうかと心配になる。ところが結構建設関係者が多く、護岸、橋梁、道路などの建築が盛んで、泊り客もその関係者である。
夜空は満天の星で、これほどの星をいつ見たんだろうと思うほどでした。子供連れでここに泊まるのもいいかもよ。自然観察にはもってこい。
揖斐川の下流、神戸町をスタートして、上流の坂内村で宿泊。ここまで約45km走る。ここで一旦港屋で宿泊する。
さっそく風呂に入り7時から宴会だ。これを楽しみにしてきた。全員で19人だ。ここで自己紹介となった。私はよくしゃべるからトリということになった。この中に大内さんの娘さんがトライアスロンのオリンピック選手だということを知った。今年は10回目の記念になるという。連続出場は13人で私のゼッケンは3番。せっかくの記念だから主催者に大会当日私に喋らせろ!と言ってやった。
自己紹介のとき、この港屋のことを皆に話した。この山の中になぜ港屋なのか。事前のおかみさんに聞いたことは、
1. この宿を始めた先祖は過去帳から富山の人ということが分かっている。おそらく富山の薬売りがこちらの方と結婚して、富山の港を懐かしんでつけた。
2. ここに昔川港があって、年貢の薪を流していたのでつけた。
3. 人の出入りが港に似ているが、先祖にそんな思い入れがあったかどうかという。多分ここのお上さんの気持なんだろう。
この上流の川上は、その昔は京都や福井の方が山ひとつ越せば行けたが、大垣の
領地でありながらそちらへは大変遠かった。「徳山と言うのは遠くの山」から名
がついたと言うぐらいだから。川上は坂内と違い、文化も方言も祭りも近江に似
ているという。
名前もこの集落だけ随分と違う。例えば、勇、須網、重網、高殿さんがこの川上にだけある。
翌日川上から林道を登り、夜叉が池を折り返して、坂内村に着く。ゴール手前で並んで走っていたマイタウンさんと脱線した。近くの酒屋でビールを買い、神社境内の石垣に座り込んで、この近くの苗字が気になったのでその話になった。それが「勇」さんである。
そこで郷土史家のマイタウンさんは、おそらく琵琶湖の方からひと山ふた山超えて山奥に入った平家ではないかという。この網というのはおそらく観阿弥にちなんだ名前で、平家の落人であろう。昨夜の話では、一集落離れているだけで文化まで違うのが、川上と坂内である。ほんの7kmの距離でそれほど文化に違いがある。
でも今でこそ、交通が楽になったから我々のようにジョギングでも行ける。だが道のない世界を想像すると、とても行き来できる環境でないことが分かる。地形は揖斐川に山が落ち込んでいるようで、川伝いにはとても行き来できず、尾根伝いに通ったんだろう。ずっと昔はそこに人が住んでいることすら分からなかったんではないか。
一宮に帰り、隣の岩倉市図書館に行った。ここには全国の電話帳がある。さっそく揖斐川水系の電話帳を探したら、先ほどの勇・須網・重網・高殿名前が出てきた。
平家というのは白川でもそうだが、前田加賀藩でも知られていない秘境中の秘境であっ た。ここには全国に名を知られた合掌造りがある。何でこんなに僻地にまで入り込んだかと聞くと、僻地に下から入り込むのは相当交通の難所がある。だが山を一つ越せば下りで、意外に住みやすい隠れた場所があったので住み込んだという。
坂内や川上は大垣藩へ、川に年貢の薪や紙のなどを流して生活の糧を得ていたという。それほど大垣とは距離も地形も、とても行き来できるものではない。それより近畿や北陸へ抜ける方が早かったという。
徳山ダムでも、北陸へ抜ける方が楽である。夜叉が池でも、大垣から入ると車でも70kmほどあるだろうか。山に入るとそれでもずいぶん登るが、頂上に行くと、北陸から軽装でそれこそハイヒールでとまではいかないが、そんな気楽なハイキング気分でこの頂上に来ているから驚く。
平家が山奥に住んでいる現象がよく分かる。
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