サ-カスがやって来た
いつもマウンテンバイクを走らせている国道22号線沿いに、賑やかなアラビアンナイトのテントが飛びだしてきた。近くにいる人に聞くと、サーカスが来たという。気にな
る症候群の私は、カメラを抱えてうろつきながら「サーカス」って、語源はなんだろうと思った。そこで調べると、
サーカス(circus)は動物を使った芸や人間の曲芸など複数の演目で構成される見世物。一般的に円形劇場や天幕などで催され、舞台を群集が取り巻いて見下ろす形態が取られる。古代エジプト時代に始まり、ローマ時代にその原型がなされた。また、近代サーカスの原点としては1770年のイギリス「アストリー・ローヤル演芸劇場」での開催とされる。
語源は、ウィキペディアのよると、
―――語源はラテン語で円周・回転を意味する語であるとする説と、古代ローマにおいて人間と猛獣の格闘などに使用された円形競技場(キルクス)であるとする説がある。現在の動物の芸や人間の曲芸が見世物として成立したのは古代エジプト時代であり、それらを円形の劇場において実施するという形態が取られ始めたのが古代ローマ時代とされている。―――
なんだ意外に簡単に終わってしまった。要するに「サークル」から「サーカス」になったということか。
では海外ではどう表現しているんだろうか。パソコンの翻訳機能を駆使して(というは大げさだが)、
日本語 サ-カス→中国語 马戏团 馬戲團→日本語 サーカス団
ではロシアでは、ボリショイか?
日本語 サーカスからロシア цирк→サ-カス なんじゃこれだけか、発音が分からん
日本語 サーカス→韓国語 서커스→日本語 サーカス
日本語 サーカス→英語 Circus→日本語 サーカス
日本語 サーカス スペイン語 Un circo みんなサーカスだ
日本語 サ-カス フランス語 Un cirque
あまり変わり映えしない翻訳であった。
日本では江戸時代には、
―――見世物小屋(みせものごや)は、珍品や奇獣、曲芸などの出し物を行う小屋。
江戸時代に爛熟し、明治時代以後に今でいうところの見世物小屋に近づいていった。江戸時代の頃には今で言うところのサーカスや美術館、動物園、お化け屋敷、パフォーマなどの要素も含んでいた。昭和30年頃には、神社のお祭などで縁日などと並んで見世物小屋も興業していた。―――
なんか全部借り物になってしまった。先日国道22号線を走っていたら、田んぼの真ん中にアラジンのテントが立っている。畑を耕しているご婦人に聞くとPOPサーカスだという。そういえばチラシに、ピアゴというスーパーの駐車場であったなァ。
周りはフェンスを張り巡らし、中には鉄道の貨物コンテナーが立ち並び、それを住居にしているようだ。これなら運びやすい。9時半のなるがもう人が並んでいる。当日券は2700円である。
昔キノシタサーカスやシバタサーカスがよく来ていた。どういう訳か子供が悪さをすると、「サーカスに売ってしまうぞ」とよく言われた。それがなんとなく親の最後の手段の脅しに聞こえたから不思議だ。
どういう訳かジンタの……♪空にいさえずる 鳥の声 ブンチャブンチャ……♪
この音楽が頭から離れない。曲名は「美しき天然」である。ここにこんな記述がある。
| 日本人による最初のワルツで、佐世保海兵団海軍軍隊長の田中穂積が、1900(明治33)年に、私立佐世保女学校の校長から、 "女性が口ずさめる歌を"との依頼で作った歌だそうです。女学生の歌だったのですね。私としては、サーカスのジンタ(楽隊曲)として覚えていたものです。 | ||
| 1. 空にさえずる 鳥の声 峯より落つる 滝の音 大波小波 とうとうと 響き絶えせぬ 海の音 聞けや人々 面白き この天然の 音楽を 調べ自在に 弾き給う 神の御手の 尊しや | ||
サーカスのジンタは、日本最初のワルツで、しかも女子学生の歌だったのだ。一般に知れ渡ったのは、活動写真の伴奏や、サーカスやチンドン屋のジンタとして演奏されたことも、この曲が有名になった大きな要因の一つである。
この音楽はチンドン屋でよく覚えている。子供のころこの音楽が流れてくると、辛抱たまら
ず走っていたものだ。あるときこのチンドン屋の後をついて回り、ビラ配りをやって親にビンタをもらったことを思い出した。中学校に入るとジンタ部でなくて吹奏楽部に籍を置いた。今もこの音楽を聴くと、ウキウキしてくる。
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コメント
サーカス♪
行ってきましたょ~(ノ^^)ノ
投稿: サカイさんとこの小出さん | 2012年6月28日 (木) 15時32分