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2012年6月14日 (木)

戦後間もない、町内の備忘録に取りつかれた その二

備忘録はNOTE BOOKとあり、この時代は敵性語がもう存在しなくなったのだと思い知らされる。紙は粗悪で、わら半紙を少し荒くしたような、薄汚れた薄茶色で、あまり開かれないのでかろうじて今日まで保っている。所々ページの縁が風化を始めていて、具合が悪いことに第1ページ目の左端が何かの汁がこぼれたのか、ピッタとくっ付いて剥がれない。

判読不明な記録を見ると、文字数はあまりなく、全体の意味を損ねるものでないので、無理せずゆっくり引き離す。でも昭和22年から67年もたっていて、このページがいつ合体したのか不明だが、ついに破れてきた。こうすると国宝の修理というのは、気の短い私には無理だと思い知る。3

テレビで見たが、特殊な液体に浸して、根気よくはがす。私にはできない相談だ。2分と持たない根気強さ。

読み始めてすぐに、持ち込んだ辞書類が役立ってきた。この時代の人は、毛筆のよう にペン字をくずしている。かろうじて古文書を読んでいたせいで、筆記体を判読しながら進んでいく。一字判読できなければ、前後の意味から調べ、くずされた文字を、辞典で探す。これも難題で、個人の癖があるから、辞典通りにはいかない。相当のクセ字で、これがまた判じ物で面白い。

こうして1週間ぐらいかかりやっとパソコンに入力、いまその現代版の活字になった備忘録を読み始めた。

備忘録は昭和22年7月25日から始まっている。記録は縦書きで、……シテ、……トス、……セル、という具合の明治から戦前までの公文記録を読むようなものだ。しかも書き手が毎年変わり、しかも癖字の上に草書体で書いている。それがうまい字なら判読できるが、癖字がミミズを背負っているようで頭を抱える。

粗悪なノートの紙は風化寸前で、無理をするとすぐにピリッと破れる。2分しか持たない根気強い私は、ムカッとする。指がワナワナ震える。手の震えはアルコールが切れたのではない。

筆記具はペン、昔はインク壺にペン先を浸して書いていた。それと同時にガラスペン。ガラスの成型が悪いと紙に引っかかり、所々引っかきキズが残る紙面。しかもインクが滲んでくる紙の粗悪さ。

解読できなかったところは、傍線(――――)で記して読み進んだ。そして記録が始まる。

目出度甫メ(目出たはじめ)
一、昭和22年7月25日 臨時常会開催シテ、町連絡員補助員ヲ第二組ヨリ選出ノ件、協議セルトコロ、先ノ通リ会員推薦ニヨリ、当選セリ連絡員補助員、A様、右任期ハ昭和22年度トス。
ニ、冠婚葬祭ノ際ニ於ケル組員トシテ、如何ニ処スルヤヲ協議セルトコロ、左記ノ通リ決議セルニ依リ、ソノ積立金トシテ一軒宛参円集メル事トセリ。

まずこんな書き出しです。これからはひらがな書きにします。

結婚の際における祝儀
一、金50円なり
葬儀の際における香典
一、金30円なり
但し集金する場合は、一軒当たり結婚の祝儀ならば、金5円、葬儀の香典の場合は、金3円を集金し、右金額の余分は積立金に繰り入れるものとする。

という、一番大事なことから会則を決めている。

そして防犯灯増設に関して、設置場所を確定して、この費用も個人からの寄付の申し入れがあった。

その当時は治安が悪く、いたるところで泥棒が出没していた。我が家も一度ミシンの頭が盗まれた。頭を盗られたミシンなんて、穴だらけで机にもならない。このミシンに糸が付いていたので逃走経路を辿って行くが、糸が切れたのか糸が無くなったのか途中から追跡できなかった。

夜中に近所中が騒がしい。泥棒が逃げ回っているのを、近所中の男が追いかけて捕まえた。そして手足を結ばれ、天秤棒でまるで猟で仕留めたイノシシのように、ぶら下げられて警察へ搬送したのを子どもながら、こわごわ見ていた。昭和40年代、ブロック塀に囲まれたわがやの庭にはまだ防犯灯が付いていた。外灯は料金が安かった。(もう時効の話だ)

いよいよ戦後の世界がこの小さな備忘録からどう見えるか。後日、「その三」へ進みます。

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