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2012年6月27日 (水)

名鉄一宮線の廃線跡を追いかける

一宮の大江川には、昔の名鉄一宮線(私たちは岩倉線と言っていた)が使っていた橋の土台石が今も残っている。この路線は、大正元年8月に開通した。当時は名古屋の押切町から一宮の西印田までの18,3kmで、そのあと一宮東まで0,6kmが延長された。当時の運賃は18銭だった。戦後バスに変わっていき、昭和40年4月に廃線となった。

今日その廃線跡を追いかけてやろうと思った。始まりはわが家から東に500m、南北に22 流れる大江川を南下する。繊維業界が華々しかったころの社交場があった花岡町を過ぎ、城崎通に出る。この道の南側に掘割のような護岸を見ると、すぐに目に入る。コンクリート造りの中に左右二カ所だけ昔の路線の幅だけ石組みが残っている。

この東側に開通から廃線までのいわれが看板で案内されている。ここでフト気が付いた。ここ16から西を向くと、マンションが建ち昔の一宮東の駅の方角は何も見えない。そこで少しずつ西に移動すると、路線の跡地がそのまま分譲されたことが、くっきり浮かび上がってきた。一宮東駅は今はマンションが建っているが、ここに名鉄百貨店があり、バスの発着場があった。ここから今度は東を見ると、名鉄系の駐車場が路線跡通りに整地されている。

ここを起点に今は個人住宅になっているが、敷地の境を見ると、クッキリと建て込んではいるが約500m線を引いたように境目があった。この後図書館に行き、昭和30年代の住宅地図を探したら、昭和38年、44年の物があったのでコピーしてきた。それを見ると見事に線路通り分譲されていた。

印田西あたりから岩倉までは、現在は道路になっていて、一直線に岩倉に向かっている。バイパスを通り過ぎると、その路線は当時を思わせるように、少し小高くなっていて、その脇の道が当時の線路沿いを走っていた小道が、現在は歩道になっている。

ここから岩倉までは、当時の駅は現在は、羽根、小山のバス停になっていて、そのまま昔の駅を思わせ7 る位置にある。そして終点の岩倉の駅に入る曲がり具合は、当時そのままのカーブを切っている。

私がまだ10歳のころ、稼業の手伝いで名古屋東区の東片端までひと月に2回ほど一人で行かされていた。名古屋駅前から市電に乗り、景雲橋、東片端と停車するが、不安でねェ。運転手のそばから離れずに、東片端が来たら知らせてもらった降りていた。当時100円もらって往復すると20円余る。その小遣いがうれしくて一人旅をしていた。

一度帰りに一宮行なんだけれど、岩倉周りに乗ってしまい、東一宮駅に着いたときは夜になっていた。独り立ちを狙っていたオヤジが、それは心配していたとお袋から聞いたことがある。懐かしい思い出を追いかけたような気がした。

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