妙興寺の山門
久しぶりにMさんと二人になった。ふいにこの背景とギターを引くMさんの写真を撮りたくなった。練習中のMさんをぐるっと回るようにとり続けた。いい背景だ。とても静かだし、昨日から梅雨が明けたのに、やっと気が付いたかのように蝉が鳴き始めた。さっき森の中に入り、カブトムシがいないか探して来たら、蛇が出たという。小枝を拾ってからかったら、蛇が戦闘態勢を取って鎌首をあげたと笑っていた。
写真はいいが、ブログに載せるなという。たいした顔でないのに。だから掲載するのをやめた。
この山門は、三解脱門といい、それから3門といい、のちに山門というようになった。三解脱門は、仏道を歩み、菩提を求める者は、空・無相・無作の三つを解脱しなければならない。これは、
- 空=真理の本体そのもの。
- 無相=過去の無用なものを憶えていて、それが先入観となり実体を見えなくしている。憎い・可愛い・欲しいといった妄想となり、苦しみになり、悩みとなって、心をかき乱し、物の実相を見ることができない。
- 無作=悟りの根源から展開されるはたらきをいう。
妙興寺の山門は、三間三戸楼門。普通は真ん中に扉があり、両側は板囲いがあり、その中に阿吽の像などが安置されている三間一戸楼門でなければならない。でもここは、何もなく12本の柱が林立したままである。実は明治23年に火災に遭い消失、翌年には濃尾大震災で諸堂倒壊してしまった。
再建が始まり、大正14年に仏殿ができたが、この山門はいつ再建されたか不明のままだ。一度見てください。そしてよく欄間の部分を見てください。花などを彫りぬいた彫刻は見事であるが、全部が完成していないのが見て取れる。左の写真でも、手前は全部彫り込んであり、その奥は半分、その奥は何もない。建築費がかさみ、ここで資金が枯渇した形として残っている。おそらく昭和10年前後にこの山門が再建されたと思われる。
暑いこの夏、この山門は涼しい。周りは立派な森で、しかも山門に囲いがないので吹き抜けで涼しい。ここにギターの練習に午後からイスに座り、年中いい音を聞かせてくれる。土台部分はコンクリートで、直に座り込み、ギターに聞き耳を立てる。
いつも、仏殿の管理人Oさんと,Mさんと私が座り込み、井戸端ならぬ山門下会議が始ま
る。そしてよもやま話を始める。
先日ここの老師さんが通りがかり、四人で世間話となった。この暑いのにと老師さんが言われるが、どうしてどうして、この爽やかなギターの音色で結構涼しいよと笑う。
でもどうしても体に寄りつく蚊には参る。座禅を組む雲水さんらは、よく我慢できるものだ。刺されても痒くならないようする、それが修業とは思わないが。だが、あたしはアルカリ性の体質だから、刺されにくい。作衣を着た老師さんは蚊取り線香を腰に付けているし、長ズボン長袖のMさんらが刺されるが、ワタシャ半袖半ズボンで刺されない。修行が違うと笑ってやる。
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