伊勢うどんと伊勢たくあんはケチの食品?
伊勢うどんの歴史を調べると、今から400年以上前、鎌倉時代という説もあるが、農民たちがうどんをつくる時間を節約して、うどんに腰が入るよな延ばすことをせず、手間がかからないように太めに切って、自家製の味噌からできる「たまり」をかけて、具はネギだけで食べるのが今に残っている。ただ煮る時間が普通のうどんだと15分~20分なのが40分から1時間煮ている。これは伊勢参り(お蔭参り)が盛んだったころ、参拝客がいつ来ても食べられるように煮っ放しにしていたと思われる。
江戸時代の文筆家兼画家の猿猴庵の本によると、このお蔭参りは、慶安3年、江戸の商人たちが大神宮へおかげ参り・抜参り(ぬけまいり)をはやらせたことに始まる。抜参りというのは、主人や親の許可を得ることなく、さらには旅行手形(往来手形)もなく家を出たことで、この年正月下旬ころより多くの人々が白衣装となって群参し、その数は1日平均500~600人にのぼり、3月中旬から5月初旬にかけては1日2000人ほどになった。
宝永2年(1705)に大規模なおかげ参りが京都から派生して、閏4月9日から5月29日までに東は江戸、西は安芸(広島)、阿波(徳島)方面に及び、350万人は参宮したという。この限られた地域での350万人である。
1700~1800年の人口はおよそ3000万人。それから考えると、人口の1割という、とんでもない人がこの伊勢を訪れた。1970年に大阪万博があった。このとき初めて人口が1億人突破した。このときの入場者が6422万人とは比較にはならないが、交通の便が悪かった江戸時代で、しかも限られた地域からの参宮は大変なことだ。お蔭参りは一地区に急激に起こる。要するに一地区の商人がはやらせたからだ。「皇太神宮」のお札が夜陰に乗じて振りまかれる。これ見た人らがワッと伊勢に向かった。
ひっきりなし来る客を効率よくもてなすには、煮っ放しのうどんにネギを載せて、たまりを掛けるだけで金になる。これを称して、伊勢のぼったくり商品として、伊勢商人の懐を肥やした。関西人はこの伊勢うどんの存在を許さず、「いせうどん」を「うそうどん」と看板に書き、醤油とソースを入れ替えたりして、伊勢うどんの販売を妨害したらしい。チョット待て、「うそうどん」っていつの話だ。ソースが出てきた。江戸時代ではないなソースが入ってきたのは明治だからなァ。「うそ」みたいな話。
伊勢屋のことを、隠語大辞典では、こう書いてある。
- 吝嗇家(りんしゅく=けち)をいふ。伊勢国から江戸へ出て商業を営んだものに勤倹力行家が多かったことによる。川柳に「せい出してためてもいせや甥の物」といふのがある。 さてこの川柳の解釈が出ていないので、私流に解釈すると、「せいだして=頑張って、とすれば、頑張って食べて、腹に貯めて出しても、その糞は伊勢屋オレの物」というふうで、どうですか?
- 〔隠〕吝嗇家をいふ。伊勢国から江戸へ出て商業を営んだものに吝嗇家が多かつたのであらう。
- 吝嗇家のことをいふ。
- 吝嗇のこと。伊勢商人は昔からけちん坊であるといわれることから出た。
- 吝嗇家(けち)。江戸時代伊勢の国から江戸に出て商業を営み勤倹で成功したものが多く伊勢屋と屋号したものが目立つたのでその後しまりやをあざける代名詞となつた。
やっぱり伊勢には伝統的なケチが存在していた。ここまで伊勢うどんをコケにすると、大神の神罰が下りそうだが、どっこい信仰心のない私には、神罰は下らない。イスラム教徒でないあなた、キリスト教徒でないあなたに、エホバでないあなたに、これらの神々の神罰が下るだろうか?
でも一度食べたいと思って店に入ったら、真黒なだし汁は見た目ほど辛くなない。おそらく昔はたまりそのものだったんであろう。戦後間もなく、母親の在所に行くと、冷やしうどんにそのままの「たまり」だった。子供には辛くて食べられなかった。水で薄めると「もったいない」と叱られた。
うどんはぬっるっとして歯ごたえがない。名古屋の味噌煮込みうどんの半煮えのようなうどんに慣れているワシラーにとっては物足りなかった。マァ一度食べられたからもういい。その点、名古屋のきしめんは違う。
――1609年、名古屋城築城のさい、多くの作業員に短時間で食事を提供する必要があった。きしめんはゆで上がるのが早く、どんどん食べさせることができた。平べったくしたのは熱の回りが早くて効率よくゆで上がるからだと伝えられている。値打ちに「お」がついて「お値打ち」になると、合理性はさらに追求されるという意味を持つ。ケチではないが、とことん無駄をはぶく。きしめんにも名古屋の精神が宿っている。――だから、伊勢の単なるケチとは違う。
さて今度は伊勢たくあんである。この辛いのなんの、本当に辛い。まるっきり塩だけで漬け込んである。友人の郷土史家が言うには、この辛いタクアンをカジリながらご飯をたべると、おかずがいらないという、伊勢商人のケチから始まったというようなことを言っていた。
以前、伊勢鉄人会というトライアスロンクラブが主催する、伊勢神宮の西を流れる五十鈴川を遡り、剣峠を乗り越えて浜島で折り返す「剣峠越え50kmラン」に参加した時は、折り返しの浜島で、この伊勢たくあんとウイスキーの水割りが出た。汗をかいた体には、この塩辛い伊勢たくあんとウイスキーはおいしかった。
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